文と写真・鍋山俊雄
前回は南東スラウェシ州ワカトビ諸島の1つ、「芳しい(?)」ワンギワンギ島(Pulau Wangi-Wangi)をご紹介したが、今回はブトン島(Pulau Buton)の「臭う(?)」街、バウバウ(Bau-Bau)をご紹介する。
なぜバウバウに興味を持ったのか? それは、ここにはインドネシア最大級の砦(benteng)が保存されているからである。約300年間、オランダに占領されたインドネシアには、オランダのみならず、ポルトガル、英国なども、香料貿易のために駐留しており、あちこちに「ベンテン」と呼ばれる砦が残っている。
ジャワ島だけでなく、スマトラ、スラウェシ、マルク、パプアなどの各地にあり、私もこれまで、かれこれ10カ所ほどの砦を見ている。見に行った所は、いずれもオランダやポルトガルにより建造された砦が多いが、このブトン島の高台にある砦は、同地の土着の王国が建造した城壁都市なのである。インドネシア人の旅仲間に「砦を見るのが好きだ」と話したところ、バウバウを勧められた。
バウバウへ行くには、ジャカルタからマカッサル経由になる。マカッサルからプロペラ機で約1時間だ。金曜深夜ジャカルタ発マカッサル行きの便に乗り、早朝、マカッサルで乗り換え、土曜朝にはバウバウに到着した。
ホテルに到着後、砦まで歩いて行こうと思って従業員に道を聞いたら、「近いが、結構、登りになる」と言う。そこで、オジェックで送ってもらうことにした。バイクで約15分余り。高台にある砦「Benteng Wolio Buton」の入口に着いた。観光案内所らしい所があったので、中に入って砦の概要を教えてもらい、1冊5万ルピアと多少ふっかけられたが、砦のガイドブックを購入した。
この砦は16世紀後半、ブトン王国第3代のラサンガジ王(1591~1597)の時代に建設が始まり、第6代のラブケガフルル王(1632~1645)の代で完成した。城壁は低い所で高さ1メートル、高い所では8メートルもあり、厚さも50センチから2メートル。岩を、砂と石灰を使って結着させて、建造している。外周は2740メートル、面積は22.8ヘクタールと広く、「世界で最も広い城壁都市」と当地の説明看板には書いてある。ブトン王国の中心地であり、12の門と16の砲台を持つ。
まずはゆっくりと城壁都市内を歩いてみる。まず目につくのはブトン王国の大モスク(Mesjid Agung Keraton Buton)。1542年に木造モスクが建てられ、改築を経て現在に至る、470年近い歴史を持つモスクである。モスクの前には、17世紀に建てられたというブトン王国旗が掲揚されていた柱も現存している。きちんと解説表示がされており、わかりやすい。その近くには王家の墓もあり、催事場跡のような建物も見られる。
城壁内には一般住宅があり、現在も人々が居住している。王家の家(旧宅)もまだあり、大きな多層建築の家が残されている。イスラム教徒の家屋ながら、インドネシア東部地域でよく見かける黄や緑中心の色使いとは異なっているのが印象に残った。
街の中心から中を横切る形で城壁まで出た後、城壁に沿って半周ほど歩いてみた。年月は感じられるものの、比較的保存状態も良く、砲台跡には砲筒が残っている所もあった。高台であるため、海側の面では、バウバウの街と海がよく見える。
城壁や砲台から見える風景を楽しみながらのんびりと散策した後で、また案内所まで戻って来ると、インドネシア人の旅行者グループが案内所に集まっていた。やはり、国内観光地として有名なのであろう。
行きはオジェックで来たが、帰りは下りだし、あまり距離はないことがわかったので、歩いて下りることにした。先ほど、上から風景を眺めていたバウバウの街中へ、街の雰囲気を見ながら、港方面に向かって歩いて行く。バウバウの大モスクを目指して、およそ1時間弱、歩いた。モスク周辺のにぎわいは、インドネシアのどこへ行っても変わらない。
海まで行くと、海浜公園になっている。市民の憩いの場である。バウバウ埠頭の船の行き来をしばらく眺めた後、この街の唯一の大きなショッピングモール「Lippoモール」があると聞いたので、ベントール(ベチャのオートバイ版)で寄り道してモールを見てから、ホテルに帰った。その後、日曜昼前の飛行機でバウバウを後にした。
週末(金曜夜)からの弾丸旅行になるが、2泊(うち、機中1泊)3日での、お手軽週末トリップが可能だ。砦フリークの方にはオススメである。