文・写真…小島鷹之
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自転車を買う

 カリマンタン島ポンティアナックから船でスラバヤに着き、ジャワ島横断のための自転車を探した。

 自転車を見つけること自体は簡単だった。カルフールやハイパーマートなどの大型スーパーに行けば、マウンテンバイクやロードバイク、ママチャリ風まち乗り自転車など、さまざまな種類があった。しかし、どうもこれらの自転車を買う気にはなれなかった。

 ポンティアナックの街中で見かけた旧式自転車、あれで旅ができないか。

 この思い付きのおかげで、自転車探しは急に難航した。英雄記念塔の西、パサール・トゥリ(Pasar Turi)の辺りに自転車問屋が密集している地域を発見したが、目当ての自転車を見つけることはできなかった。

 スラバヤに到着して5日後、乗り合い小型バス(アンコット)に乗ってぼーっと外を眺めていた時、目線の先に中古自転車らしきものが“Dijual”(売ります)という看板を掲げて置かれているのが目に飛び込んできた。私は急いでアンコットを降りた。その中古自転車に駆け寄ると、そこは自転車屋ではなく、小さな雑貨屋だった。

 値段は書いていないので、値段交渉が始まった。言い値は90万ルピアであった。うーん、これは高い。私は50万ルピアでどうだと提案する。それはとてもじゃないけど無理だとおじさんは言う。そこで、50万ルピアから徐々に値を上げていき、お互いの妥協点を模索する。75万ルピアまで下がった。しかし、もう少し行けると思った私は、なぜ自転車を買うのか、そして、なぜこの自転車が良いのかを、拙いインドネシア語で力説して、あきらめて帰るフリをした。すると、「わかった。70万ルピアでどうだ」。インドネシアの物価と自転車の状態を考慮すれば、高い買い物だったのには間違いない。しかし、この自転車を買ったこと自体は大正解だった。

 自転車の部品や予備のチューブ、空気入れなどを購入し、自転車の点検と修理をした。おおむね順調に進んだが、後輪のカゴだけが前日の夜になっても手に入らなかった。とりあえず荷物はすべてリュックに入れて背負い、出発後にカゴ探しをしよう。そんな覚悟を決めて、宿の前でモンキーレンチを握り自転車の点検を行っていると、目線の先に、大量のボロい木箱が山積みになって放置されているのを見つけた。山の中から1つだけ取り出し、試しに後輪の荷台に載せてみると、妙にしっくりくるではないか。近くにいた警備員に、これを使っても良いか尋ねると、快く「オッケーだ」と言われたので、結束バンドでカゴを後輪の荷台にくくり付けた。

 ようやくすべてが整った。その夜、まるで修学旅行へ行く前日の小学生のような気分だった私は、ワクワクしてよく眠ることができなかった。

1日目 2013年10月18日(金)
スラバヤ(Surabaya)→ グレシック(Gresik)
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 正午に宿を出て、スラバヤのシンボルの英雄記念塔へ。そこで記念写真を撮り、自転車旅行をスタートした。

 とにかくスラバヤの町を出るまでが大変だった。バイクや車の交通量が多く、そして、それらの運転が日本の勝手とは違ってハチャメチャで、初日にして絶望感を味わう。初日なのでスラバヤの隣り町のグレシックまで行ければ良いや、と気楽に考えていたが、それは甘い考えであったことを思い知る。

 途中、ガソリンスタンドで休憩していたらスズメバチに襲われ、もはや自転車旅行どころではなく、日本に帰りたくなった。必死の思いでグレシックにたどり着いたものの、週末の金曜日なので、宿はことごとく満室で、宿探しが難航する。スラバヤに戻ろうか迷う。5軒ほど探した後、結局、リゾートホテルにある隔絶された物置みたいな部屋に泊まることになり、この旅を始めたことを初日にして後悔する。

 自転車を漕いでいる間は気付かなかったが、宿で寝転がっていると熱中症のような症状が出始め、宿から動けず。

2日目 10月19日(土)
グレシック(Gresik)→ ラモンガン(Lamongan)

 引き続き暑さに適応できず、体調が悪い。30分ほど進んだところで耐えられなくなり、15分、休憩することにした。しかし、休憩後も体のだるさ、暑さによる頭痛が治るどころかひどくなる一方で、さらにそれに追い討ちをかけるように後輪がパンク。もうダメだ。

 たまたま目の前にあったモスクで、しばらく休憩することにした。2時間ほど寝た後、パンク修理に取りかかる。が、用意した空気入れが米式バルブ専用であることに今さらながら気付く。この自転車は英式。パンクが直せなければ、もう先には進めない。どうしよう。交通事情も良くないし、撤退するか。こんなことを考えていた時、地元の子供たちと家族が集まってきた。どうやら、困っていることを察して声をかけてくれたようだ。

 藁にもすがる思いで、空気入れを持っていないか、おばさんに聞いた。すると彼女は「ある」と言って、自宅へ取りに行った。数分後、おばさんは空気入れを持って戻って来た。英式バルブの空気入れだ。こんな奇跡があるのか。簡単にあきらめてはいけないんだ。
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 さらにそのおばさんは、チューブ交換もやってくれると言い、外した後輪と予備のチューブを持って、どこかへ行ってしまった。戻ってくると、確かにチューブはきちんと交換されて、空気も十分過ぎるぐらい入っていた。自転車屋かバイク屋に行って直してきてくれたのだろう。
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 後輪を受け取り、組み立て作業を開始しようとすると、子供たちと大人が工具を握り、てんでに手を付け始めた。最初は面白かったので放置していたが、気付けば、もう夕方。日が暮れる前に今日の目的地にたどり着かないといけない。適当に自転車を組み、「みんなで写真を撮ろう」と言って写真を撮った後で退散し、そこから100メートルほど進んだ所で、再度、自分の手で修理をする。正味15分程度だった。

 こうして、日が完全に落ちる前までに、ラモンガンにたどり着くことができた。宿を何軒か回ったが、どこも値段が高く、仕方なく、一番安い宿に泊まる。しかし、部屋が汚なすぎて、まともに寝られなかった。オーナーがすごく良い人だったので、そのギャップにさらに苦しむ。

3日目 10月20日(日)
ラモンガン(Lamongan)→ トゥバン(Tuban)

 昨晩、まったく寝られなかったので、ほぼ徹夜の状態で、午前4時半に出発。パンクしないよう、細心の注意を払って走行する。

 出発後、最初の2時間程度は涼しくて心地が良いが、激しい眠気が襲う。四六時中あくびをしながら、半分寝たような状態で走行し、途中のガソリンスタンドで倒れるように寝転がり、たかるハエを追い払う余力もなく、眠った。

 1時間ほど眠った後、いつの間にか現れていた屋台でバッソを食べるも、サンバルの辛さを知らなかったために大量に投入してしまい、口の中が灼熱地獄と化す。以降、トラウマになり、サンバルは控えるようになった。

 初めの30キロほどは、鉄道と平行する道を走っていたので、景色と列車を眺めながら走ることができたのだが、線路をそれた後は、単調な田園風景が続いた。角度が少し変わるだけで、見えるものは田んぼと道路のみ。まるでランニングマシーンの上を延々と走っているようだった。

 この日、自転車で走るコツが少しつかめてきた。これまでは路肩を走っていたのだが、思い切って車道を走った方が安全なことに気付いた。クラクションは鳴らされるが、これは我慢。寛容と忍耐である。大事なのは相手の視界に入ることであり、その視界は日本人の感覚よりも格段に狭いということを忘れてはならない。日本にいる時の概念、感覚はすべて捨て去ることが重要だと実感する。

 午前中に目的地のトゥバンに着き、エアコンがある快適な宿を探した。エアコンが東芝製だったため、「東芝万歳!日本製品万歳!」と叫びながらベッドにダイブし、眠りにつく。

 夕方に目が覚め、町の中心部で見つけた自転車屋で空気入れを購入した。今度はしっかりバルブの種類を確認してから買った。

 この町のモスクは美しい。そして、そのモスクの近くにあるコンビニの女の子が、これまた美しい。褐色の肌、くりっとした目、アヒル口。大した用もないのにコンビニに行って飲み物を買っていたため、宿の机にたくさんの飲み物が並ぶ奇妙な事態に。
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4日目 10月21日(月)
トゥバン(Tuban)

 午前中はトゥバンの町中を散策して、午後から出発することにする。トゥバンはジャワ海に面した町であり、広場の西側の海沿いには漁村のようなエリアが広がっていた。磯臭い小道を歩きながら、人々の暮らしぶりを観察する。カツオのような大きい魚が軒先に転がっていた。

 カメラを持って歩いていると、漁港の人たちに呼ばれた。どうやら、俺を撮れ、俺の船を撮れ、ということらしい。近づいて写真を撮り、それを液晶画面で皆に見せると、大興奮。勢いで酒を勧められ、一緒に飲む。飲むとチ◯コが5時間、勃起し続ける魔法の酒だと言うので、「飲んだところで俺には相手がいないんだ」と返すと、どっと大爆笑。その一言で、さらに距離が縮まり、たばこや水を差し出される。
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 そろそろ出発せねばと思い、記念撮影をして立ち去る。その帰り、面白いシャツを着たおじさんがいたので、こっそりカメラを構えようとした時、なんと、カメラを落としてしまった。あわてて電源を入れるが、画面は真っ暗。壊してしまった。このショックで、自転車を漕ぐ気にならず、エアコンが効いた涼しい宿に戻って、ふて寝をする。

 その日は何もする気が起こらなかった。

5日目 10月22日(火)
トゥバン(Tuban)→ ビナングン(Binangun)

 ホテルの朝食はナシゴレンだった。この日からiPhoneで写真を撮るが、どうもしっくりこない。

 この日は海沿いの道を気持ち良く走った。エアコンが効いた清潔な部屋でしっかり英気を養ったため、体調が万全で、今までとは比べ物にならないほど、苦しさを感じなかった。改めて、宿の大切さを認識する。そもそも自転車旅行は宿代と飲食代以外はお金を使う機会がほとんどないのだから、その部分を無理にケチる必要はないのである。体調が良くないまま走って、事故に遭うリスクも考えたら、まっとうな宿に泊まるのが不可欠である。

 ここで、今までだましだまし使っていた壊れかけのブレーキを外し、お飾り状態となっていたライトのダイナモも外す。以降、ブレーキなしで進むことに。

 小さな町が一定の間隔であったので、この日は精神的にも楽だった。トラックの運転手が「頑張れ」と声をかけてくれた。

 夕方4時、ガソリンスタンドで休憩をする。ここからは、進みながら宿探しをして、見つけた宿に泊まることにするが、見つからない。午後6時。日がほとんど落ちて、辺りが暗くなる。これはナイトランかと覚悟したその時、「HOTEL」という看板を発見。よっしゃ。中に入って1泊の値段を聞くと15万ルピア。高い。どこから来たのかと聞かれたので、「スラバヤから自転車で来た日本人だ。安くしてくれないか」と言うと、向こうはビックリして、値段が一気に5万ルピアも安くなった。自転車は部屋の中に入れて良いとのことだったので、ベッドの横に自転車を置いて眠ることにした。
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 1日に何キロ漕ぐ、という考えをやめる、英気を養える宿をしっかり選ぶ、これからは、この2つを大切にすることを決める。

6日目 10月23日(水)
ビナングン(Binangun)→ レンバン(Rembang)

 ヤギの鳴き声で目が覚める。自転車を点検すると、後輪がパンクしていた。部屋の中でのパンク修理から、1日が始まった。
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 途中、中華系住民の多いラスムという町を散策した。町の人に聞いた「慈安宮」という中華寺院を訪問し、寺院の入口にいた人たちに挨拶すると、福建系の男性がインドネシア語で案内してくれた。インドネシア語と中国語はしゃべれるが、福建の方言はしゃべれないとのことだ。

 ラスムからレンバンまでは、軽いサイクリング程度の距離だ。

 インドネシアの地方都市は、中心に広場とモスクがセットであり、そこから町が発展しているケースが多い。なので、そこを拠点に、宿や食事をする場所を探すのが最も効率が良い。

 レンバンで見つけた感じの良いホテルは明らかに予算オーバーであったが、女性スタッフがとても愛嬌があってフレンドリーだった。中でも、そのうちの1人は、屋台でナシゴレンを一緒に食べたい女子ランキング第1位である。ほかに何軒か見て回ったが、どこも値段のわりには設備が中途半端だったので、このホテルに決める。

 ホテルで夕食を食べられるか聞くと「ここは高いから屋台に行った方が良いよ。ここから真っすぐ行って……」といった感じで説明を受け、商売っ気のなさに、なぜかこちらが心配になる。

7日目 10月24日(木)
レンバン(Rembang)→パティ(Pati)

 スタートしてすぐに、ガソリンスタンドにホテルとコンビニが併設された、オアシスのような場所を発見。

 ジュアンダという町の5キロほど手前に来た時、車線の一部が工事のため舗装されておらず、おまけに対向車線は1車線が封鎖されていた。対向車線の方はトラックが一列に並び、まったく進む気配がない。車から降りて雑談をするドライバーもちらほら見かけた。そこへ、渋滞に業を煮やしたらしいバスが、なんと、こちら側の車線の路肩を逆走してきた。その光景があまりにも衝撃的だったので、何かの冗談かと思った。なんとか避けられたからよかったものの、一歩間違えば大惨事である。そのバスのドライバーに「どこ走ってるんだ!」とどなられたのが納得いかなかった。
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 今日の目的地はパティ。地図で見ると、間延びした町であった。宿はどこも、設備のわりに高い。外観がきれいな宿を見つけたので中に入ってみたら、部屋はほとんど掃除されていなくて汚く、外観さえ良ければ良いという考えが多いことを実感する。

 この日の宿は6万ルピア。汚いしエアコンもないが、天井が高いために熱気がこもりにくく、シーツもちゃんと毎回洗っているようだったので、妥協する。

 宿の周りは何もなかったため、宿に入ってからは特に何もせず。泊まる宿は、屋台が近くに並んでいる場所が好ましい。

8日目 10月25日(金)
パティ(Pati)→ドゥマック(Demak)
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 パティを出て自転車を漕いでいると、乗用車の助手席に座ったイスラムの服装をしたおじさんが、緑色の箱を窓から差し出し、何やら言葉を発していた。どうやら、これを受け取れということらしい。その車は減速する、俺は全力で漕ぐ、同じスピードになったその瞬間、まるでリレーのバトンを受け取るように、箱を受け取った。私に箱を渡すと、車は颯爽と去って行った。その場で箱の中身を確認することはできなかったので、とりあえず後ろのカゴに入れ、約20分後にクドゥスという町で休憩。箱を開けてみると、弁当だった。葉っぱに包まれた、ちまきのようなご飯が非常においしかった。

 休憩後、クドゥスの町を抜け切る手前で、後輪がパンクした(2日ぶり3度目)。パンク修理をしようとすると、地元のおじさんが興味を示して近づいてきた。「大丈夫」と言っても自転車を触ってくるし、こちらに対して何か言っている。あぁ、めんどくせぇ。親切心からだろうか、いくら断っても自転車をいじろうとしてくるので、修理が完了したフリをして、そこを立ち去り、周りに人がいない所を探して修理をすることにした。おかげで、パンク発覚から2時間も経って、ようやく修理が完了した。
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 夕方、この旅が始まって以来、初めて雨に遭遇した。雨の中を走行することは大変危険なので、近くにあったモスクで休憩することにした。疲れ果てて飲み物を飲んで休憩していると、同じく雨宿りをしに来たバイクに乗った男性に声をかけられた。どこから来たのか、何人なのか、どこへ行くのか。毎日毎日聞かれてうんざりな質問ばかりしてきたので、いらついて無視することに。本当はこんなことはしたくないのだけど、この時ばかりは休憩したかったのだ。インドネシアでは相手の意向や状況を確認することなく話しかけてきて、好奇心が旺盛な人が多いということもよくわかった。

 同じ質問をされて同じ答えを返す。これにも飽きてきた。でも、これに関しては自分がインドネシア語を上達させる以外に解決する方法はなく、さらなる勉強の必要性を感じた。

 もし自分が日常生活において旅人に会ったら、無言で飲み物と食費程度のお金を差し出せるようになりたい。

 夕飯はパダン料理を食べるも、辛くてノックアウトされる。

9日目 10月26日(土)
ドゥマック(Demak)→ スマラン(Semarang)
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 大都会スマランに着き、正午過ぎには宿に入った。今まで屋台料理ばかり食べていたので、久々にケンタッキーで食事をすることにした。食べ終えて宿に戻ると、激しい腹痛とそれに伴う下痢、嘔吐が襲う。以降、トイレに籠りっきりになる。宿の下がコンビニになっていたのが不幸中の幸い。ポカリスウェット、水、ティッシュペーパーを買い込み、再び寝込む。

10日目 10月27日(日)
スマラン(Semarang)

 なんとか落ち着いたものの、下痢は治まっていなかったので、1日中、寝ていた。

 夕方になると落ち着き始めた。が、症状は小康状態にあるが全快とは言えず。スマランには2泊の予定だったが、延泊して静養することにする。

11日目 10月28日(月)
スマラン(Semarang)

 日中はひたすら寝ていたこともあって、一昨日から比べると、大分、症状は落ち着いた。下痢も治まりつつあったので、思い切って、夕方からスマラン旧市街を中心に散策する。チャイナタウンで小さな中華寺院を発見して中に入った。その直後にスコールが降ってきたこともあって、寺院にいた華僑のおじいさんと会話をする。雨がやんだあと、中華料理屋で食事。
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12日目 10月29日(火)
スマラン(Semarang)

 散策したが、特に何もしていない。出発する明日のために休養に充てた。(つづく)
 

小島鷹之(こじま・たかゆき)
記事執筆当時、法政大学4年生。ジャワ島自転車旅行に先立ち、2011年に東京から福岡を経由してソウルまで、2012年にはバンコクからシンガポールまでを自転車で走破した。現在、日本の通信社の記者。
 

ジャワ島 自転車横断記 #2 スマラン → インドラマユ
ジャワ島 自転車横断記 #3 インドラマユ → ジャカルタ