A Man Called Ahok
時の人、アホック元ジャカルタ特別州知事の少年期から青年期までを描いた作品。現在進行形の実在人物だけに、すっきりと素直に受け入れられない所があり残念だ。
文・横山裕一
2017年ジャカルタ特別州知事選挙に敗れ、選挙期間中の発言から宗教冒とく罪で2年の禁錮刑を受け、先日、1月24日に出所したばかりのアホック(本名:バスキ・チャハヤ・プルナマ=BTP)元州知事の少年期から青年期までを描いた作品。時の人でもあるためか、インドネシア映画作品としては珍しく約1カ月上映のロングランとなった。
物語では、私財を投げ打ってでも周辺住民を助け、不正を許さない彼の父親が強く印象に残る。父親の姿を常に見つめ続けたアホック少年。アホックの人格形成にいかに大きく影響したかが作品を通してよくわかる(報道によると脚本に関わったアホックの妹が完成後、一部事実と異なるとして批判しているとのことだが)。
鉱物業を営む父親は家族を養うには十分な財を成した実業家。しかし周辺住民は貧しく、絶え間なく彼に援助を求める。深夜皆が寝静まった頃、ある夫婦が彼の家を訪れる。妻に起こされ居間で急な客人の対応をする。用件は借金の依頼だ。彼は嫌な顔ひとつ見せずそれに応える。そんなある日、怪しげな男が父親を訪れる。汚職の誘いであった。敢然と拒絶する父親、その姿を物陰から目に焼き付けている少年時代のアホック。結果これが元で父親の事業は傾き始めるが、彼は毅然とした態度を貫く……父親から学んだ、家族や人々のために生きる誠実さ。ついにはアホックは社会の公平、公正のため政治家を目指す。
ちなみになぜアホックと呼ばれているかというと、彼の中国名「鍾萬學(客家語読みでTjung Ban Hok)のバン・ホック(Ban Hok)」から来ているとのこと。「萬を学ぶ〜あらゆることを学ぶ」との願いを込めて父親が命名した。アホックはその名の通り命名者たる父親から多くを学んだのだろう。
アホックは中華系インドネシア人のキリスト教徒で、しかもジャワ島以外の出身者(ブリトゥン島出身)。インドネシアでは民族、宗教的にも圧倒的に少数派の政治家である。こうした背景や立場をものともせず、州知事時代に不正なことに対する断固たる態度、歯に衣着せぬ発言、また政策実行力で多くのムスリム有権者からも評価、支持を受けてきた。しかし同時に強硬な態度が故に敵も多く、先の州知事選では相手陣営から、インドネシア人にとって最もセンシティブな宗教論争に持ち込まれ落選となる。まさに多様性の中の統一、民族や宗教の寛容性を国是とする現代民主主義のインドネシアで代表的な存在にもなり得る人物だったかもしれないが、現実的には否定された形となる。国是の理想と国民感情にはまだ埋めきれない溝があるのも事実のようである。
一方でアホックのような政治家を待望する声も依然巷では大きい。そんな中で上映された今回の作品。アホックの2年間の禁錮刑終了まであとわずかとなったタイミングでの上映。穿った見方ではそれを見据えてのイメージアップとも受け取られかねない。かつてジョコ現大統領の映画(「ジョコウィ」)も彼のジャカルタ特別州知事時代に上映された。意図的か結果的かは定かではないが、彼が大統領候補になる前年だった。
現代インドネシアでは政治のメディア利用が多い。民放テレビ局のオーナーの多くが政治と結びついている。またどの書店でも自国の歴史的英雄の伝記と共に多くのスペースを占めるのが現在の政治家や国民に影響を与える宗教家などの自叙伝本(自筆、他筆あり)。それだけ需要、国民の関心がある裏打ちでもあるのだが。
今回の映画は、魅力ある父親とその影響を受けた少年の物語としては面白いが、どうしても現在進行形の実在人物だけにすっきりと素直に受け入れられないところがあり残念だ。余談だがアホック演じる俳優は、インドネシアの民放番組「インドネシアン・アイドル」(スター発掘番組)の司会で有名なダニエル・マナンタ。ハスキーな声がアホック本人そっくりで、冒頭の彼の語りによるナレーションは無意識に本人のものと思ってしまうほど。また少年時代のアホック役の少年もいかにもアホックが子供の頃はこんな感じだったろうと思わせる澄んだ良い瞳をしていて、キャスティングをみるだけでも面白い。エンディングで本人の少年期の写真が出てくるが確かに良く似ている。
さらに余談となるが1月24日に刑期を満了したアホックは、政界への復帰が噂されているだけでなく、31歳年下のイスラム教徒の女性と再婚する予定で話題を呼んでいる。この女性は結婚のためイスラムからキリスト教へ改宗するとのこと。寛容の国インドネシアならではの事象ではあるが、彼本人も巻き込まれたように、近年、宗教問題は政治利用されることが多い。今後再度、政争のネタにされないといいのだが。