スラバヤからジャカルタまで自転車で走ってきた小島鷹之さん。なぜこんな旅をしようと思ったのか、ジャカルタ到着後にインタビューした。(文・池田華子)

──出発地点のスラバヤには、どうやって入ったのですか?
日本を出てから、台湾、中国、ロシア、中国、北朝鮮、中国、韓国、マレーシア、シンガポール、フィリピン、マレーシア、ブルネイ、マレーシアと周り、マレーシアのクチンからバスを使ってインドネシアのポンティアナックに入りました。ポンティアナックからスラバヤまでは船。移動はほとんどが陸路か船です。飛行機で飛ぶのは、文化の違いを無視するようで、嫌なんです。
──自転車旅行はなぜやろうと思ったんですか?
電車やバスでの移動だと大きい町しか行かなくなる。大きい町を転々と、「点」で動くようになる。「線」で動きたいなと思いました。チャリで移動していると、観光地でない所に行けるし、いろんな人と話すきっかけが出来る。「インドネシアは今、どうなっているんだろう」という興味がありました。
──これまでに、こういう自転車旅行をしたことがあるんですか?
小学生の時に、自宅のある川崎から築地まで自転車で行きました。高校生の時には東京23区を2日間かけて、全部、回りました。2011年に東京から福岡経由でソウルまで、2012年にはバンコクからシンガポールまで自転車で走りました。最初は「やること」自体が目的だったんですが、韓国へ行ったあたりから、地元の人と話したりすることや旅が目的になりました。アルバイトでためたお金を全部つぎ込むようにしました。服を買いたくても買わない。飲み会は絞る。
──インドネシアでの予算はどのぐらい?
1日20〜30万ルピアです。寝ないと次の日が危ないので、宿はケチらないようにしました。15万ルピア出すと、楽になる。すごい階級社会だと思いました。
──もっと走りやすい自転車ではなくクラシック自転車を選んだわけは?
最初に着いたポンティアナックで、クラシック自転車に乗っている人を見て、街になじんでいる姿がうらやましいなと思って。これいいな、この形にしよう、と思いました。
──自転車には手を加えましたか?
チェーンが外れたら修理できないので、チェーンカバーを外しました。そのほかの余計な部品も取っ払いました。ただ、ランプはあった方が味があるかなと思って、残しました。
──ブレーキは?
ブレーキはなし。運動靴の底がブレーキです。
──「Ke Jakarta Dari Surabaya(スラバヤからジャカルタへ)」の手書きの看板、これを荷台に付けて走ったんですか?
自転車を漕いでいる時は、いろいろ話しかけられてうるさいので、出さない。町に入ると、出す。
──自転車旅行を宣伝して走っているわけではないんですね。
「溶け込む」「なじむ」がキーワードです。できるだけ観光客とばれないようにする。旅行者だとわかると、皆、やさしくしてくれるじゃないですか。それが当たり前になってしまって「インドネシア、最高!」……そういうのが好きじゃない。アジアだと、日本人は現地の人に化けられる。それを利用しない手はないです。一種の「変装」だと思っています。「日本人を探せ!」みたいな。
──だんだん、なじんでくる?
旅の最初は「Korea? Jepang?(韓国人?日本人?)」と聞かれていたのが、そのうち「フィリピン? タイ?」と聞かれるようになり、最後は「インドネシアのどこ?」と聞かれるようになり、とてもうれしかったです。自転車旅行では、インドネシア人とうまくつきあっていかないといけません。味方にすると心強い。
──車の人からお弁当をもらった逸話(第1回、8日目)は、いい話でしたね。
家族連れの乗用車でした。「Dari mana?(どこから?)」「Jepang(日本)」。ただそれだけ言葉を交わして、リレーのバトンみたいに箱を受け取りました。開けてみたら「ごはんだ!」。
──インドネシア語はどこで勉強したんですか?
ポンティアナックでインドネシア語の辞書を買い、グーグル翻訳も使って必要な言葉を調べ、自分で単語帳を作りました。ポンティアナックからスラバヤまで船で2日間あったので、船の中で勉強しました。
──1日の走行距離は何メートルぐらいでしたか?
まったく移動していない日もありますが、1日2、30キロから100キロぐらいです。最初は「1日何キロ」とか決めていたんですけど、そうするとカウントダウンになって、目的地にもなかなか着かない。「1時間漕いだら休憩する」「ガソリンスタンドがあったら休憩する」というようにして走って行くと、意外に早く目的地に着くことがわかりました。
──1日の過ごし方は、大体、どんな風でしたか?
昼はとんでもなく暑いんですよ。だから、チェックアウトの時間ギリギリ、正午ごろまで宿にいて、一番元気な時に昼間の時間帯を走る。夕方は距離を稼ぐ。夜になるまでに町に入れば、こっちのもん。明るいうちに宿を探す。夜、余力があったら街の中を歩いたりしました。
──自転車で走るのは大変でしたか?
暑いし、精神的にきついです。自転車はいつ壊れるかわからない、車がいつ、ぶつかってくるかわからない。
──ゴールした時の気持ちは。
「達成感」というより「解放感」の方が強かったです。スラバヤからジャカルタへ来る人には、自転車より安心安全な鉄道かバス、または最も速い飛行機で行くことをお勧めします。
──使用した自転車はどうするんですか?
ジャカルタで知り合った日本人の方が預かってくれることになりました。またインドネシアに来たいです。
小島鷹之(こじま・たかゆき)
記事執筆当時、法政大学4年生。現在、日本の通信社の記者。


