【インドネシア全34州の旅】#49 東ヌサトゥンガラ州⑥フローレス島ララントゥカ マリア像の行進

【インドネシア全34州の旅】#49 東ヌサトゥンガラ州⑥フローレス島ララントゥカ マリア像の行進

2021-11-08

鍋山俊雄さんの連載旅行記は、再びフローレス島に戻ります。フローレスはポルトガル語で「花」という意味。ポルトガルの交易拠点として栄え、カトリックの伝統が今も色濃く残っています。東端のララントゥカで、聖週間「セマナ・サンタ」のマリア像の行進を見ました。

文と写真・鍋山俊雄

聖週間、セマナ・サンタ

 フローレス島を旅していると、「アントニオ」とか「ヨハネス」とか、あまりジャカルタでは聞かない名前の人たちによく出会う。「フローレス」がポルトガル語で「花」という意味であることからもわかる通り、歴史上、この島とポルトガルの関係は深い。

 16世紀にポルトガルがフローレス東端のララントゥカを交易拠点とし、多くのポルトガル人がララントゥカに移り住んだ。1859年のリスボン条約で、ポルトガルはオランダに対して、フローレス島東部とその周辺の島の主権を放棄した。しかし、その後も、多くのポルトガル人が残留して現地化していったようだ。

 こうした歴史もあって、フローレス島は人口の8割ほどが、アニミズムと融合したカトリック教徒だ。ララントゥカは特に、こうしたポルトガルの影響を色濃く残している。カトリックの重要な行事「セマナ・サンタ」(Semana Santa、英:Holy Week、日:聖週間)が盛大に取り行われている。

「Semana Santa」の垂れ幕があちこちで見られた

 「セマナ・サンタ」は復活祭までの1週間を指す。ララントゥカのセマナ・サンタは有名で、情報を探していると、ララントゥカの街をマリア像を掲げた人々が行進している様子がよく出て来る。インドネシア国内のみならず、海外からも観光客が来るという。その時はララントゥカのホテルだけでは収容できないため、港に停泊した船が臨時ホテルとして使われるそうだ。

 そんな聖週間の雰囲気を味わってみたくて、聖金曜日から始まる三連休にフライトとホテルを予約した(情報は2019年当時)。

フローレス島へ

船まるごとがホテルの部屋!

 フライトはいつものティモール島クパン経由だ。クパンからララントゥカへのフライト時間は40分ぐらい。宿泊先は、大聖堂から少し離れてはいるものの、海岸沿いにあり、船を改造したユニークなボートハウスのあるホテル「ララントゥカ・ビーチ・アパートメンツ(Larantuka Beach Apartments)」にした。ここはホームステイ・タイプの宿で、普通の家屋を宿に改造している。その庭に一艘の船があり、これが一つの部屋になっている。

左に置かれた船一艘まるごとが、部屋になっている

 ホテルの庭には一艘の船がある。これが1室になっているのだ。船体の中ほどがベッドルーム。そこから船の前部にかけてが細長いリビングになっていて、リビングには、小さな流しもある。船の窓から海岸を見ながら、お茶を飲むことができる。ベッドルームからいったん外へ出て、船の縁を伝って船体の後部へ行くと、そこがトイレとシャワールーム、という面白い造り。ベッドルームにはエアコンもあり、快適だ。

真ん中の白い扉が船室への入口。右の茶色のドアから後部は、シャワーとトイレ

 イギリス人のオーナーのクリスさんは英国海軍でのダイバーだった。このホテルはララントゥカのダイビングセンターも兼ねている。この船は元は漁船で、改造してダイビングボートにするつもりだったと言う。エンジンを載せ替える費用が高すぎたので、客室として改造することにしたそうだ。

 フローレス島の東端にあるララントゥカからは、すぐ目の前にアドナラ島(Pulau Adonara)が見える。島と島の間は狭い海峡になっている。流れは速く、引き潮と満潮で海流が逆になる。フローレス側から見ると、引き潮の時には左から右(北から南)へ流れ、満潮になると、それが逆に流れる。

すぐ目の前は海峡。向かいはアドナラ島

青いガウンのマリア像

 毎年の聖金曜日には、キリスト像とマリア像がそれぞれの教会から運ばれて来て、キリスト像は船で行進(「プロセッション=Procession」と言う)、マリア像は陸上の行進をして、大聖堂まで運ばれる。金曜の夜中に再び街中を練り歩き、土曜日には各々の教会に戻される。

 私が到着したのは金曜の午後3時過ぎだったので、教会から大聖堂までの行進は見られなかった。しかし、ピンクの旗を付けた、キリスト像を運ぶ行進に参加した船団は、港で見ることができた。

ピンクの旗を付けた船の一団

 ホテルから乗り合いバスに乗って、午後4時過ぎに大聖堂に到着した。儀式は夜7時から開催されると言う。大聖堂の中には青色のガウンに身を包んだマリア像があり、その前で多くの市民が並び、順番に膝をついてお祈りをしていた。マリア像は傷もなく、かなり新しいように見える。まだ昼間でも、大勢の人が集まり、いろいろな儀式が行われていた。

マリア像に膝をつき、祈る人

 夕方になると、大聖堂前のテントには溢れんばかりの人々が訪れた。皆、長いろうそくを手に持って、グループに分かれて並び、静かに着席している。夜7時ごろから大聖堂内で儀式が始まった。しばらくの間、賛美歌や神父の話が大聖堂の中から聞こえていた。

夜になり、たくさんの人々が集まって来た

 そして夜8時ごろ、先ほどのマリア像が担がれて外へ出て来た。これから街中を行進する。とは言っても、敷地の中は満員の人だかりで、身動きすらできない。先頭のマリア像を追って行くのも、かなりの時間がかかりそうだ。午後4時前から見ていて、そろそろお腹も空いてきたので、宿に帰ることにした。翌朝になってホテルの人に聞くと、行進は夜中の1時ごろまで続いたらしい。

マリア像が担がれて大聖堂の外へ出て来る

アドナラ島へ渡る

 翌朝は日の出前に起きて、日の出を眺めた。アドナラ島の向こうがゆっくり明るくなってくる様は素晴らしく、美しい。潮の流れをよく見ると、昼間とは逆なのがはっきりとわかった。 

アドナラ島の向こうから朝日が上る

 この日は復活祭の日曜日。クリスさんに行き方を聞いて、目の前のアドナラ島に渡ることにした。ララントゥカでのセマナ・サンタは3カ所で行われ、アドナラ島のウレ(Wureh)教会も開催場所の1つだ。教会からバイクで行ける距離にアドナラ要塞(Benteng Adonara)跡があると聞いたので、その2つに行くことにした。

アドナラ島に渡る

 まず、海岸沿いに少し南へと歩き、アドナラ島への渡し船が出ている所まで行って、乗り合いの船に乗った。向こうの島までは700メートルぐらいしかないのだが、潮の流れは速い。ちょうど満ち潮で、南から北に、かなりの速度で流れている。それを斜めに横切るようにして、15分ほどかけてアドナラ島に到着した。

 「ウレの教会とアドナラ要塞まで行って港に帰って来る」というルートで、オジェックを25万ルピア(約1800円)でチャーターした。まずはウレの教会へ。質素な造りの教会だったが、この教会でもセマナ・サンタの行事が行われており、中にはキリスト像があった。

 その後、のんびりと海岸沿いを進むと、もう少し大きな教会が見えてきた。高い尖塔と壁のデザインが独特だ。建造はまだ1995年と新しい。ララントゥカでもここでも、やはり教会が目を引く。教会の前の海岸からララントゥカの方を見ると、イレマンディリ山の麓に街が広がっていた。

尖塔の壁のデザインが凝っている
アドナラ島から、ララントゥカの街とイレマンディリ山を望む

 東に向かってバイクを進め、アドナラ要塞跡に到着した。海沿いの高台となっている岬の上に要塞があったそうだ。それらしい壁がほんの一部だけ、1個の砲身と共に残っていた。

要塞らしい物は、この壁のみ
砲身が置かれている
城壁のある丘から見た美しい眺め

 要塞のあったとされる場所に、現在は小さなモスクがあり、それを取り囲むようにして民家が並んでいる。その民家の庭先など、あちこちにも砲身が残されている。村人に聞いてみると、砲身は全部で12個あるそうだ。岬の下の海岸の村に降りてみたところ、そこにも砲身がいくつかあった。確かにここは昔は要塞だったのだろうが、今では、海岸で村人たちが船の修繕をしたり、子供たちが駆け回っている。

 再び渡し船に乗って、ララントゥカに戻った。船着き場で、もう一つ隣の島、ソロル島(Pulau Solor)へ行く船についても聞いてみた。ここから片道2時間はかかるとのこと。要塞好きの私は、ソロル島にある要塞も気になっていたのだが、時間の都合上、今回は断念した。

 オジェックで再び大聖堂の方向に行ってみた。一本道を南に向かうと、右手に大モスクがあった。カトリック行事のセマナ・サンタが盛大に行われる街でも、大モスクがあるところがインドネシアらしい。ほかにも所々で小さいモスクを見たので、イスラム教徒もある程度の数は住んでいるようだ。

ララントゥカの大モスク。独立したミナレット(塔)はないが、ドームを囲んで四隅に高層塔がある

 その後、高台にあって、眺めが素晴らしいファティマ丘公園(Taman Bukit Fatima)に移動した。ここに建つ教会は壁がガラス張りになっており、そこから見渡す海の景色は素晴らしい。

丘の上にあるガラス張りの教会
背景に見えるのはアドナラ島

 海岸沿いの道を歩いていると、途中で所々、道が白く光り、ドロドロになっている場所があった。昨晩、ろうそくを持って行列をした際に、溶け落ちたろうそくの跡だそう。事故を起こすと危ない。通り過ぎる車も心得ていて、そこでは速度を落としていた。前日と夜中に大行進をしたからか、翌日の街中は閑散としていた。

垂れ落ちたろうで白くなった道路
海岸沿いには大きな十字架とキリスト像がある公園がある。青い空に白い彫像が映える

マリア像はレプリカか本物か

 宿でクリスさんといろいろ話をした。中でも面白かったのが、セマナ・サンタで使用されたマリア像は、実は、本物とレプリカがある、という話だ。元々、ララントゥカにあった本物は約500年前の、考古学的にも貴重な物だ。顔の右側に修復跡がある。しかし5年前からはローマ法王の指示で、オリジナルは保管し、レプリカのマリア像でセマナ・サンタを行うようになったのだそう。

 ところが、レプリカを使い始めたところ、船での行進時に転覆事故が相次いだ。ララントゥカの人々の間に不安が広がったため、翌年から再びオリジナルを使用することになった。今年はまたレプリカのマリア像を使ったので、街の人々の間では不安と不満の声が上がったが、幸い、事故は起きなかった。確かに、教会でマリア像を見た時に「500年前とは思えないきれいさだな」と感じたのだが、やはりレプリカだったのだ。

 3日目は午前中のフライトだ。日の出を眺め、朝食の後で空港に向かい、再びクパン経由でジャカルタに帰った。

帰りもクパン経由、東ヌサトゥンガラ州を中心に飛んでいるトランスヌサ航空で。イカット柄の機体が特徴だ

 今回、セマナ・サンタの雰囲気だけは感じることができたが、次回はもっと早めにララントゥカ入りし、プロセッションをじっくり見学し、そしてクリスさんのガイドでアドナラ島近辺でダイビング、そしてソロル島への日帰りトリップなどを加えて、1週間ぐらいゆっくりしてみたいものだ。

お世話になったクリスさん一家。左は筆者

追記:再訪を楽しみにしていたのだが、奥様のフェイスブックによると、大変残念なことに、私の訪れた5カ月後にクリスさんは亡くなられたとのことだ。