「端っこ好き」の鍋山俊雄さんが今回向かうのは、インドネシア最南端の島。美しい夕日で知られるロテ島の南側にあります。このンダナ島、「記憶に残っている中で、最も美しい海岸の一つ」とのことです。
文と写真・鍋山俊雄
最南端はどこ?
「サバンからメラウケまで」という言葉にあるように、インドネシア西端のサバン(Sabang)はアチェ州のウェー島(Pulau Weh)、東端のメラウケ(Merauke)はパプア州の南端にある。では、「インドネシアの北端はどこ?」については第1回で触れた。今回はインドネシア最南端の話である。インドネシア最南端は、東ヌサトゥンガラ州ロテ島(Pulau Rote)の南側にあるンダナ島(Pulau Ndana)だ。
ロテ島は美しい夕日とサーフィンが有名である他に、インドネシア最南端へのアクセス地だ。このロテ島に、3連休の弾丸旅行で訪れた。ロテ島へのアクセスは、東ヌサトゥンガラの各島に行く際にハブとなるティモール島クパンから船で2時間半ほど、飛行機であれば約30分のフライトだ。フライトは午後だったので、早朝便でクパンに入った後、タクシーをチャーターして、クパンの街をぐるっと回ることにした(情報は2017年当時)。
まず行ったのは、東ヌサトゥンガラ州文化博物館。多くの島から成る東ヌサトゥンガラ州は、各島に様々な文化があるため、この博物館は情報収拾に役立つ。ルンバタ島の伝統捕鯨に関する展示や、クジラの骨の標本なども見ることができる。
小型のハープに反響板を付けたような形をした、ロテ島の伝統楽器「ササンド」(Sasando)も展示されている。クパン空港の名前の表示板にもこのササンドが付いており、初めて見た時には何だかわからなかった。ロテ島では、この楽器の音色を、直に聴いてみたかった。
ササンドは、東ヌサトゥンガラ州庁舎のデザインにもなっている。大きな半円形をした白い建物に、中央の柱と青い反響板の組み合わせが青空に映える。各州の庁舎は、屋根の形や入口に地域の特性を盛り込んでいる所が多いが、ここまで思い切った個性的な形にしている庁舎は初めて見た。とても印象的で目立つので、この旅行の後でクパンに来る時にはいつも、この庁舎を空から探すようになった。飛行機の左側の座席に座っていれば、着陸2〜3分前に見ることができる。
州庁舎の後は、定番の訪問場所である「街で一番大きなモスクと教会」へ。その後で、「猿の洞窟」(Gua Monyet)のある公園へ連れて行ってもらった。小高い丘になった森の中に小さな洞窟があり、その周辺に野生の猿が集っている。人が近付いても逃げる様子がない。空港に戻る道すがら、海岸沿いの市場に立ち寄ってみた。店先には新鮮な魚が並ぶ。頭に大きな荷物を乗せた子供たちが通り過ぎる。
東ヌサトゥンガラ州の島々はどこも、手織り絣(Tenun Ikat)が有名だ。ティモール島のイカットを売っている土産屋にも、華やかな彩りのイカットが並んでいた。
サーフィンと夕日の名所
束の間の街巡りを終えて空港に戻り、ロテ行きのプロペラ機に乗り込んだ。離陸するとすぐ、ロテ島行きのボートの出ている港が眼下に見える。飛行時間はわずか30分余りなので、水平飛行に入ったと思ったら、すぐに降下が始まった。島の内陸はほとんどが森林と草原に覆われている。小さな空港が島の中程にあり、そこから島の西端のムンベララ・ビーチまで車でおよそ1時間だ。
ムンベララ・ビーチにはサーファー向けのコテージが多くあり、そのうちの1つに宿泊した。到着した時、ちょうど夕暮れの時間だったので、まずは目の前のビーチに行き、ロテ島の名物である夕日を楽しんだ。日没のグラデーションも素晴らしいが、雲ひとつない夜空の星も印象的だった。
質素な造りのバンガローは水シャワーだったが、離島であることだし、サーファー向けのリーズナブルな宿としては十分だ。食堂に行ってみると、壁にはサーフボードがずらっと並んでいた。宿泊客に欧米人もチラホラいたが、国内旅行者も目立つ。行きの飛行機で一緒だったインドネシア人の若い夫婦と食事が相席になったのをきっかけに仲良くなり、国内旅行の話で盛り上がった。
ホテルにもササンドが飾ってあった。「ササンドの演奏を聴ける所はないか」と聞いてみたが、残念ながら、儀式や祭りでないと演奏されない、との返事だった。
翌朝は、海で海藻や魚を獲っている人たちを眺めながら、海岸を散歩した。遠浅の海は、白砂の浜辺から青のグラデーションが広がり、美しい。海岸に干してある海藻も色とりどりだ。
インドネシアで最も美しい海岸の一つ
2日目は「最南端の島」、ンダナ島へ。漁船のチャーターで、往復150万ルピア(1万2000円程度)。昨晩知り合いになったインドネシア人の夫婦を誘って、3人でチャーターすることにした。
船は沖に出ればそれほど揺れないが、時折、波の立つエリアがある。そこでサーフィンを楽しんでいる人たちが見えた。1時間ほど進むと、人気のない美しい海岸の広がるンダナ島が見えてくる。遠くにスディルマン将軍の銅像が建っている。
船は静かに海岸に到着した。インドネシア国旗が掲げられた海兵隊(Marinir)の監視小屋がある。その監視小屋以外は、海岸に何もない。人気のないこの海岸の眺めは本当に素晴らしかった。私の記憶に残っている中で、最も美しい海岸の一つだと思う。
この島に住民はいないが、こうして時折観光客が来ることは監視小屋にいる海兵隊も承知している。まずは来訪記録を書くために小屋へと向かった。
軍の事務所の中には、多くのバッテリーが並んでいる。外には、小さな太陽電池パネルもある。後ろには居住する部屋が並んでおり、ここでの任期は10カ月ぐらい。その後、交代するそうだ。インドネシア最南端の場所として、国境警備がその任務だ。
彼らが言うには、この島の海は素晴らしいが、歩いて4時間ぐらいで島は1周できてしまい、さすがに1週間で飽きてしまう。定期的にロテ島まで買い物に行くのが気晴らしのようだ。
島の真ん中に湖があるそうで、「よかったら案内するよ」と言われたが、片道40分と聞いて、今回は時間が限られているので丁重にお断りし、「スディルマン将軍像を見に行きたい」とリクエストしたら、バイク運搬車で送迎してくれた。
海に向かって立つスディルマン将軍像は、ジャカルタのスディルマン通りにある同将軍の銅像よりも大きい。最南端の国境近くに国家英雄の銅像を建てて、「領土の主権を守る」という政府の意志の現れだろうか。インドネシア最北端(の1つ?)で、フィリピンが目と鼻の先にある北スラウェシ州タラウド諸島ミアンガス島(Pulau Miangas) には、かつてこの地にあったマンガニトゥ国のサンチャゴ王の銅像が立っているという。
南端のンダナ島には、対オランダ独立戦争時の英雄であるスディルマン将軍の銅像。北端のミアンガス島には、17世紀のオランダ東インド会社の侵略に抵抗したサンチャゴ王の銅像。こうして国境の守りを固めているということか。
東西のサバンとメラウケにはインドネシア東西の端を示す双子の石碑があり、南北にはこの英雄像がある。この4つのランドマークのうち、サンチャゴ像以外の3カ所を、これで訪問することができた。北のミアンガス島にも行ってみたかったが、飛行機が週1回しか飛んでいないので、結局、行くことができなかった。
再びロテ島に戻って、周囲を散策した。ココヤシが立ち並ぶ人気のない海岸。民家の前ではバイクのタイヤを転がしたり、子供たちがおしゃべりに興じていたり、のんびりとした南の島の風が流れている。夕方にはまた、ムンベララ・ビーチで夕日を眺めて過ごした。この夕日が沈む方向にはサブ島があり、その向こうは、とんがり屋根の伝統家屋が有名なスンバ島がある。
翌日のフライトは午後4時発と遅かったので、朝から車をチャーターして、島の南端の方へ行ってみた。舗装が荒れ気味の道路を南下する。ロテ島はクリスチャンが大半なので、質素な造りの教会と、小集落が点在している。トタン屋根の家はまだそれほど多くない。
ごつごつした岩や、乾季で水が干上がったマングローブ林などを通り抜け、到着したのはオエセリ・ビーチ(Pantai Oeseli)。ここには岩場の多い海岸が広がっている。そのまま南側の海岸線を伝って移動した。沖には、前日に行ったンダナ島が見える。
ボア・ビーチ(Pantai Boa)では、10人近くのサーファーがサーフィンを楽しんでいた。今までインドネシアで見たサーフィンの名所は、バリ島西海岸と北スマトラのニアス島のソラケ・ビーチだ。このボア・ビーチも波が高いので、よくサーファーが訪れるそうだ。ニアス島の時にも思ったが、これぐらい波が立つのであれば、サーフィンも楽しいことだろう。
その後、出発までの時間、宿周辺を散歩していると、ロテ島のイカットを売っている店を見つけた。軒先で織り作業をしており、その作品がヤシの木に渡して並べられている。気に入った物を一枚買った。
ホテルを発って、午後3時過ぎにロテ空港に到着した。クパン空港の売店では、演奏の聴けなかったササンドの小さな置物も購入した。
3日間の弾丸旅行だったが、フローレス島ラブアンバジョで見たのと匹敵するほどのロテ島ムンベララ・ビーチの素晴らしい夕日、手付かずの美しい海岸が広がるンダナ島が印象的な旅だった。