「インドネシア全34州の旅」、ついに最終回になりました。最後にご紹介するのは、東ヌサトゥンガラ州のスンバ島です。とんがり屋根やイカットの他に、騎馬合戦の「パソラ」が有名です。騎乗で、相手陣地の馬(に乗った人)に向かって棒を投げ合うというもの。昔は棒ではなく槍を投げていたそうで、死者が出ることもあったとか。
文と写真・鍋山俊雄
東ヌサトゥンガラ州の中でスンバ島は、ティモール島、フローレス島に次いで3番目に大きな島だ。秋田県と同じぐらいの面積があり、インドネシアの最南端近くに位置している。島の北西部のタンボラカ(Tambolaka)、北東部のワインガブ(Waingapu)の2カ所に空港があり、バリかティモール島クパン経由でアクセスできる。
周辺の島々とはまた少し異なる、独特の高い屋根を持つ伝統家屋に住み、先祖を敬い豊作に感謝する祭り「パソラ」(Pasola)を行うといった独自の文化を維持し続けている。日常生活に馬が溶け込んでいるのも特色だ。
このスンバ島には、西部に2回、東部に1回、行った。いずれも3日間の弾丸旅行だ。
スンバは「ダイナミック・ミステリー」
スンバ島に初めて行ったのは2016年2月。このころはインドネシア版「ロンリープラネット」を読みふけり、次の連休で行く場所を物色していた。当時はまだほとんど足を踏み入れていなかった東ヌサトゥンガラ州の情報は非常に興味深く、中でも、スンバ島の章の最初に書かれていた「Sumba is a dynamic mystery」の一文が印象的だった。ジャワに栄えたマジャパヒト王国の支配下に置かれた時期もあったが、独自の文化をずっと昔から育んできた島。特徴的なとんがり屋根の伝統家屋と複雑な模様のイカットを見に行った。
スンバ島の西部の中心はワイカブバック(Waikabubak)で、空港のあるタンボラカからは約40キロ(車で2時間弱)。東部の中心は空港のあるワインガプ。双方の間の距離は130キロぐらいだ。どちらかから入って島を横断する旅程も考えてみたが、短期間で一度に両方へ行くのは、移動だけで終わってしまいそうだ。そこで、初回は西部のワイカブバック中心の旅とした。「ロンリープラネット」に出ていた地元ガイドに連絡を取ると、ちょうど行く予定だった時に外国人向けツアーを組んでいるとのことで、それに参加することにした。
ワイカブバックは西部の中心と言っても、小さな街だ。道路沿いに民家や商店が並ぶ風景は他の島と変わらないが、周囲の丘には、森で囲まれた伝統家屋集落が点在している。宿から歩いて行けるタルン村(Kampung Adat Tarung)に行ってみた。軒先から棟にかけて大きく盛り上がり、とんがり帽子のような屋根をした家が並んでいる。インドネシア国内には、家屋は保存しているものの人はほとんど住んでいない伝統家屋村も多いが、ここでは住民が実際に居住している。
スンバ島にはキリスト教徒もいるが、「マラプ」(Marapu)という祖霊信仰が広く信じられている。伝統家屋の屋根の高い帽子の部分にはマラプが宿る、と聞いた。家の前には大きな石墓があり、テーブルのように平たい石が積んであったり、村によっては彫刻の施された大きな墓石が建てられていたりする。この石墓へ埋葬する時は、大がかりな儀式が執り行われるそうだ。
茅を葺いた屋根の軒下では、住民がのんびりおしゃべりをしていたり、女性がイカットを織っている。壁には水牛の角が飾られている。スラウェシ島トラジャのトンコナンもそうだが、儀式で水牛を生贄とする風習のある地域に見られる装飾だ。床下は貯蔵場所になっていて、豚などの家畜を飼育している。村の子供たちは遊んだり、仕事を手伝ったり、観光客がスマホで撮った写真を物珍しそうに見ていた。
ガイドの家で、彼女がイカットを織る様子を見せてもらった。値段は、大きさやデザインによって異なる。東ヌサトゥンガラ州の島々では広くイカットが織られているが、中でもスンバ島のイカットは大胆なデザインや色使いが有名で、ジャカルタなど国内各地から買い付けに来る。結構、いい値段が付いている。
ガイドが用意した車に乗ってワイカブバックから南下して、いくつかの伝統家屋村を巡り、パヒウィ海岸(Pantai Pahiwi)で休憩した。人気がない白砂のビーチに青い海が広がる。このスンバ島南部には、当時の米国の旅行雑誌で「世界一のホテル」とされたリゾートホテルがあるという。
スンバ島は西部と東部で民族が異なり、言葉も東西で少し違うそうだ。東部の方が、石墓は大規模になる。ワイカブバックに戻る前に、やや中部寄りのパスンガ村(Kampung Adat Pasunga)を訪れた。ここでは石墓の脇に彫像があった。
この村では、屋根がすべてトタンに替えられていた。最近、除草剤を農業で使うようになってから、茅の調達が難しくなってきているそうだ。屋根の葺き替えも数十人での大仕事になる。トタンだと調達も簡単で、設置も業者2人で短時間でできてしまうそうだ。「茅の方が風情はあるし、風通しも良くて涼しいのだが、火事に弱いし、鳥が巣を作るし、メンテは大変」ということだった。
最後の晩は、タルン村のガイドの家で夕食をご馳走になった。薄暗い中、囲炉裏で火を起こして作ってくれた、鶏肉料理をご馳走になった。
この時、街でパソラの垂れ幕を見つけ、初めてパソラのことを教えてもらった。ちょうど1週間前に、2月のパソラ(パソラは2月と3月にある)が終わったところだったと聞いた。そこで、またパソラを見に来ると約束した。
伝統家屋村の火事
その後、2017年10月のこと、タルン村のガイドのフェイスブックを見て驚いた。村で火事が起きた、とある。すぐに連絡をして状況を聞くと、集落の人は全員無事だったが、ほとんどの家が焼け落ちてしまったと言う(下は火事を伝える地元ニュース)。茅葺きの屋根で密集しており、水道も通っていない高台だと、消火もままならないのだろう。ガイドが、観光客誘致のために政府が伝統集落の周りに展望台整備をしているのを見ながら、「こういうところより、集落の水道整備を進めてほしい」と話していたのを思い出した。
2017年12月の3連休、今度は東部のワインガプに行ってみた。西部に比べて伝統集落は少なくなっていたが、確かに石墓の規模は西部よりもかなり大きい。さらに東部には、隣のサブ島からの移民が住んでいることもあり、スンバの高い屋根の伝統家屋とは違った、低い屋根の集落が見られた。
いよいよ「パソラ」へ
翌2018年になり、タルン村のガイドに連絡を取って近況を聞いてみた。「仮設住宅住まいだが日常は取り戻している。パソラは3月半ばに西部の海沿いの村、ワイニャプ(Wainyapu)で見ることができる」と言うので、見に行くことにした。
パソラの見所は騎馬合戦。二手に分かれた集団が馬に乗り、槍に見立てた細長い棒を相手に向かって投げ合い、時にはけが人が出ることもある、荒っぽい祭りだ(昔は棒ではなく、矢尻の付いた本物の槍を投げていたそうで、死者が出ることもあったらしい)。年に1度、2〜3月に行われるが、実施日は月の暦を見て決めるため、直近になるまで日程ははっきりしない。
バリ経由でタンボラカの空港に着いたのはパソラの前日の午後1時ごろだった。パソラの前で観光客も増えているのか、タクシーが待機していた。しかし、2年前に比べて料金は上がっており、宿のあるワイカブバックまで、以前は車で約2時間弱、値段は30万ルピアだったのだが、今回は50%も高くなって45万ルピア。そりゃ高いだろ、と交渉した。他の客との乗り合いなら10万ルピアだと言うので、他の客が見つかるまで待ってみたが、結局、35万ルピアで手を打った。
稼ぎ時で次の客を探したいのか、タクシーはかなり飛ばして、山間の村々を過ぎて行く。1時間少々で、前回にも泊まったワイカブバックのホテルに到着した。早速、2年前に続いて今回もお世話になるガイドが住んでいる村に行ってみた。
さて、村に足を踏み入れると、スンバの伝統家屋の特徴である高い屋根ではなく、平屋の家が点々と並んでおり、空き地も目に付く。空き地にはまだ、焼けた柱がまとめて置いてある所もある。2年前に見た、高い屋根が立ち並ぶ風景とはだいぶ変わってしまっていた。しかし、多くの子供たちが元気に遊び回る中で、女性が軒下でイカットの機織りをしているのは、昔と変わらぬ光景だ。
ぐるっと集落内を歩いて周り、いくつかの家では縁側でコーヒーをご馳走になった。これらの平屋は仮設住宅で、いずれは、昔のように高い屋根の家に建て直す予定だそうだ。しかし、あと2〜3年はかかるのでは、という話だった。
火事になった村と同じ敷地内だが延焼は免れた、少し離れた集落で「火事の原因は漏電なのか?」と聞いたところ、声を潜めて、「火事が起きた集落の中に、村のしきたりを破った家があり、それが火事を引き起こしたんだ。天罰なんだ」と話してくれた人もいた。
夕方までその村に滞在し、帰宅したガイドと再会した。前回、他のゲストと共に夕食をご馳走になった彼女の家も焼け落ちて、仮設住宅になっていた。
馬に乗っての棒投げ合戦
翌朝、パソラの騎馬戦を見に、ワイニャプに向けて出発した。草原、そしていくつかの村を通り抜け、パソラの会場になる村に近付いて行くと、集合場所に向かうところの、馬に乗った村民の姿がポツポツ見えてくる。
ワイニャプの村に到着した。休憩場所になっている民家には多くの村人と外国人観光客が集まり、時間が来るのを待っている。パソラが行われる広場にも多くの見物客が集まっていた。
広いグラウンドに出ると、思い思いの装飾を施した馬に乗った若者たちが、ウォーミングアップがてら、ぐるぐる走り回っている。馬に手綱は付いているが、鐙(足置き)もなく、直に馬に座るか、クッションのような物を置いているだけ。あれでバランスを取りながら馬を走らせ、片手で槍を投げるのは、相当難しいと思う。
しばらくしてから、グラウンドにいた馬10頭ぐらいずつが両側に分かれた。そして「合戦」が始まった。「合戦」と言っても、日本の戦国時代の合戦や、学校の運動会の騎馬戦のような接近戦ではない。数頭が順番に、相手側の馬まであと20〜30メートルという所まで近付いて、手に持った槍(矢尻はなく、先端も丸くしてある、長さ1.5メートルぐらいの棒)を相手に向かって投げる。距離があるので、槍投げのように、斜め前上方に、馬に乗って走りながら、勢い良く投げる。相手もまた馬に乗って動いている上、一人一投しかしない(棒を回収する人は別にいる)。
大勢が同時に投げ合うのでなく、2、3頭が順番に、さーっと真ん中まで走って来て、一人ずつ順番に投げて、陣地に帰って行く。なかなか当たることもなく、相手に当たれば周囲は大歓声なのだが、なんとものどかな雰囲気だ。とは言え、馬に乗っている人は、防護になる物は何も持たず、身に着けてもいないので、当たり所が悪ければ大けがをするだろう。のどかとはいえ、見ている方はヒヤヒヤする。たっぷり2時間ぐらい投げ合いをして、騎馬戦は終了した。
その村で昼食を取った後、近くのワイニャプ海岸まで歩いて行ってみた。近くには、とりわけ高い屋根の目立つラテンガロ村(Kampung Adat Ratenggaro)が見える。海岸線と高い屋根の組み合わせが写真映えする。
ワイニャプの村を出発した後、海岸線沿いに島を北上し、まるで岩場に囲まれた天然プールのようなウイクリ・ラグーン(Weekuri Lagoon)に立ち寄った。岩場の海岸にあり、大きな岩壁に囲まれる形で、鮮やかなエメラルドグリーンのラグーンが広がっている。時間がなくて入らなかったが、ちゃんと「飛び込みポイント」もあった。地元の若者たちが気持ち良さそうに泳いでいた。
同じツアーの参加者をタンボラカ近くの宿に送った後、再び、ワイカブバックの街に戻って来たのは夕方だった。その夜はガイドの親戚の家で夕食をご馳走になった。
パソラはスンバ西部で行われ、主要な場所は4カ所ある。それらの場所で、2〜3月の間に順番に行われていく。場所によっては騎馬戦以外の儀式は省略されているが、ワノナカ(Wanonaka)で行われるパソラが完全なものだという。騎馬戦だけでなく、早朝に海岸で行うニャレ(nyale)という儀式から始まり、1日がかりなのだそうだ。
今回見たパソラも良かったが、やはりフルバージョンでのパソラをワノナカで見てみたい。あと数年もすれば、タルン村の仮設住宅も、また再び、昔のような村に戻っているだろう。しかし、火事のリスクや茅の調達難から、この島の伝統集落も徐々にトタン屋根化していくのは避けれられない流れなのだろうか。また、有名リゾートの進出もあって、徐々に観光開発が進むのかもしれない。伝統集落での日常生活が見られるうちに、是非訪問しておきたい島だ。
下の写真は、火事からの復興支援も兼ねて、ガイドから購入したイカットだ。二つ折りしているので、実寸は縦にこの2倍の大きさがある。パソラや伝統家屋の絵柄が美しい。