スラバヤで買った中古自転車に乗り、スラバヤからジャカルタを目指した。

文・写真…小島鷹之
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13日目 2013年10月30日(水)
スマラン(Semarang)→ プカロンガン(Pekalongan)

 スマランに着いてから、下痢で4日間、寝込んでいた。全快とまではいかないが、ようやく体調が落ち着いたので、出発することにした。

 病み上がりのこの日が、この自転車旅行中で最も過酷な日だった。第1の難関は、交通量の多いスマラン市街から出ること。宿を出た瞬間から戦いは始まった。これまで通って来た田舎道では体験しなかった交通量の多さで、自転車の真横ギリギリを大型車と暴走バイクが駆け抜ける。そして、大渋滞。渋滞している場所では逆走バイクや逆走トラックが頻繁に現れるので、注意が必要だ。実際、バイクと軽く接触してしまった。

 やっとの思いで渋滞を抜け、交通量が大分、減ったと思った途端、第2の難関が登場した。心臓破りの急坂だ。ペダルを漕ぐのは早々にあきらめて自転車を押して歩くが、急斜に負けて押し戻される。1歩進んで2歩下がる。無理矢理、2歩進む。こんな「ひとり押し問答」を繰り返している横を、バイクや大型車が駆け抜けていく。かれこれ30分。来た道を振り返ると、さっきまで同じ目線にあった海が、はるか下に広がっていた。

 坂を登り終えると今度は下り。そしてまた上り。この繰り返しが延々と続いた。距離にして40キロぐらいだろうか。

 上り坂は自転車を押して歩く、これは大丈夫。問題は下りだ。ブレーキが壊れていて使えないため、スピードが出過ぎて止まれず、衝突事故を起こす可能性がある。前方が直線で見晴らしが良い場所であること、なおかつ後ろから来る大型車がないことをしっかり確認してから、スピードが出過ぎないように体重を後ろに載せて、できる限りスピードを殺して、そろりそろりと下る。それでも、薮(やぶ)の中から突然にバイクが現れたりするから、まったく気を抜けない。
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 ブレーキが壊れているせいで宿を逃すという失態を3度も犯した。左側に「ホテルまで、あと◯百メートル」という看板が見える。よし、ちょっとのぞいてみるか。道は下り坂に入る。スピードが乗る。左手にホテルが見えてくる。止まろう。止まれない。あれれれれ。ホテル通過。これを3回、繰り返した。

 この日は体力の消耗もさることながら、精神面での消耗がすさまじかった。しかし、このような厳しい状況で100キロ先のプカロンガンまでたどり着ければ必ずや自信につながると思い、懸命にペダルを漕ぐ。

 こうして、日はすっかり落ちて辺りはもう暗くなっていたが、視界がまだ確保できるうちに、プカロンガンの町に入ることができた。「KOTA(市街地)」と書かれた標識のある交差点を国道から右に曲がると、町の中心部が見えてきた。思わず小さくガッツポーズをする。しかし、これで終わりではない。もし自分が箱根駅伝の選手なら、タオルを持ったスタッフがゴールと同時に抱きかかえてくれるが、この旅はすべてが自作自演なのだ。

 夜の宿探しほど、いやなことはない。しかし、野宿は勘弁。セオリー通りに、町の中心にある広場周辺を攻めることにした。宿は3軒ほどあったが、蚊が飛び交って枕から負のオーラが漂う宿か、快適だが高い宿しかない。そこそこ快適でそこそこ安い宿はないのか。広場から少し離れた川沿いに、そこそこ快適でそこそこ高い宿なら見つけることができたので、ここに決めた。エアコン付き、ベッドはツイン、水シャワー。
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 夜は、広場を散策した。夜市で日本軍の軍票らしきものを発見し、こんな町にも日本の足跡があるのかと妙な心地を覚えた。
 
 
 
14日目 10月31日(木)
プカロンガン(Pekalongan)→ トゥガル(Tegal)
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 ひたすら自転車を漕いだ1日だった。道中のことは特に印象に残っていない。

 プカロンガンはバティックで有名な町だ。一応、「インターナショナル・バティック・センター」にも行ったが、結局、何も買わなかった。

 単調な道のりだった。昼前から自転車を漕ぎ始め、夕方にはトゥガルの町に入って宿探しをした。

 国道沿いにある宿を何軒か回ったが、どこもそれなりに高く1泊18〜20万ルピア程度。今までの経験から、10万ルピア以下は「ダメ宿」、12万出せば「大丈夫」、15万出せば「納得」、これが自分の中での基準となっていた。公共交通手段を使った旅行なら、余力もあるし、「ダメ宿」でも問題ないのだが、1日中、自転車を漕いだゴールが「ダメ宿」なのは、あまりにもつらいものがある。

 町の西端で1軒の宿を見つけた。入って値段を聞くと16万ルピアだと言う。部屋を見ると、それなりにきれいで、きちんと掃除もされているようだ。ダメ元で「安くしてくれないか」と聞くと、受付の男性は、奥から誰かを呼んだ。すぐに、眠たそうな顔をした男性が現れた。このおじいさんが宿のオーナーで、名前はバンバンさん。自分が外国人であること、この旅のことなどを話すと、バンバンさんは眠気がシャキッと覚めたような顔で驚き、14万ルピアでどうだと提案してきた。もちろん快諾した。

 宿の前は国道が通り、その国道に沿って大型ショッピングモールやアメリカ資本のファストフード店などが立ち並ぶ。今まで、こうした商業施設は大都市のスラバヤやスマランでしか見なかった。スマラン以降はジャカルタ近郊まで行かないと見られないと思っていたので、予想外だった。

 
 
15日目 11月1日(金)
トゥガル(Tegal)

 昼近くに、遅めの朝食をとるべく、宿の近くにあるショッピングモールへと歩いて行った。しかし、お目当てはショッピングモールではなく、そこにへばりつくようにして並ぶ、汚い屋台だ。バッソとアイスティーを注文する。

 ここには水道はなく、バケツに汲んだ水で調理をしていた。これまで、さまざまな町の屋台で食事をしてきたが、ここの屋台はとりわけ汚なかった。

 注文から5分後、バッソとアイスティーが登場した。バッソは特に問題なさそうだったが、使い古した灯油タンクのような容器から注がれたアイスティーは、なんだかヌメヌメしていた。しかし、気にしたら負けだと思って飲む。
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 食事を終え、宿に戻って出発しようと身支度をしていると、両腕と唇が急にかゆくなり始めた。じんましんだ。気にしても気にしなくても、あのアイスティーを飲んだ時点で負けだったのだ。

 今日は自転車を漕ぐことをあきらめ、同じ宿に延泊し、静養することにする。ダメな時はダメ、無駄な抵抗はしない。この旅行で学んだことの1つだ。

 夕方まで寝ていると、少し症状が収まってきた。ずっと部屋の中で寝ているのも退屈だったので、外に出て自転車をいじっていると、バンバンさんに「友人と食事に行くけど、君も来ないか?」と誘われた。二つ返事で誘いに乗る。「午後7時に出かけるよ」と言われたので、インドネシア人の時間感覚を見越して、午後8時ごろまで部屋の中でくつろぐことにした。

 午後8時に部屋を出たが、バンバンさんはいつまで経っても姿を現さず、11時近くになってやっと、バイクに乗って現れた。フルフェイスのヘルメットをかぶったバンバンさんに話しかけると、ちょうど食事から帰って来たところだと言う。部屋から出て来ない私を見て、長旅で疲れて寝ているのだと察して起こさないでくれたらしい。せっかく誘っていただいたのに申し訳ないことをしてしまった。「インドネシア人の時間感覚」などと変な推測をするものではなかったと反省する。

 就寝前に、バンバンさんと軒先でおしゃべりをした。バンバンさんいわく、ショッピングモール建設といったトゥガルの町の発展は、ここ数カ月という最近の話であり、元来は、何もない、のどかな田舎町だったそうだ。「なぜボロブドゥールやジョグジャカルタに行かないのか?」と聞かれたので「観光地ではなく、ここみたいな小さな町が好きなんだ。インドネシア人のリアルな生活に触れてみたい」と言うと、苦笑いしながらも納得してくれたようだった。

 バンバンさんとは英語で話をした。バンバンさんは昔、英語を使ってアジア諸国でビジネスをしており、日本にも行ったことがあるそうだ。英語を使うのは久しぶり、外国人がこの宿に泊まるのは創業以来だとうれしそうに語ってくれた。昨夜、あっさり2万ルピアまけてくれた理由がなんとなくわかり、ほっこりとした気持ちになった。

 しばらくこの町にいて、バンバンさんに話を聞きながら、町を歩きたい。そんな気持ちもあったが、先へ進まなければならない。いつかまた来よう。そう誓い、あす、この町を後にすることを決める。

 
 
16日目 11月2日(土)
トゥガル(Tegal)→ チレボン(Cirebon)
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 バンバンさんやスタッフの人たちと一緒に写真を撮り、正午に出発した。体調は良好だ。
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 前日の体調不良の原因となったトゥガルの屋台で食事をとることはやめ、次の町、ブルブスで食事をした。屋台でアイスティーとバッソを注文したが、どちらも問題なくおいしかった。特に、この日のアイスティーはサラサラしていたので一安心だった。

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 トゥガルとチレボンのちょうど中間地点辺りから高速道路が通っており、大型車はそちらへと迂回していた。そこから先は大型車が減るとともに交通量も減り、落ち着いて走ることができた。

 タンジュンという村の近くにあるコンビニで休憩していると、バイクに乗った30代前後の男性に声をかけられた。いつもの決まった質問を受ける前に、自分から、出身と今回の旅の経緯を説明すると、感激して握手を求められた。大げさだなぁと思ったが、実はこの男性、親の仕事の関係で幼いころに少しだけ日本に住んでいたそうだ。当時のことはほとんど何も覚えていないが、日本にいたという事実は決して忘れられないものであり、その日本から自分の地元に自転車でやって来た、というのが、感激の理由だった。確かに、自分も同じ立場だったら感激するだろう。

 この男性はさらに、自分の家に泊まっていけと言う。悪い人でないのはわかっていたし、見知らぬ外国人に対してそのように誘ってくれるのは大変うれしかったが、いかんせんタンジュンはテガルからそんなに離れていなかったし、ジャカルタを出る飛行機のチケットの関係もあり、できる限り先に進んでおきたかった。そこで、今回は丁重にお断りし、その代わりに、ジャカルタに着いたら必ず手紙を送ることを約束し、住所を教えてもらった。「次にインドネシアに来る時は必ず遊びに来てくれ」と言われたので、必ず遊びに行きたい。

 お互いの携帯電話で記念写真を撮った後、別れた。休憩を終え、コンビニを出て数キロ進むと、そこにはまた、この男性の姿があった。今度は幼い息子さんと一緒だった。先回りして待っていてくれたのだ。そして、ミネラルウォーターをくれた。本当に親切な人だった。旅をしていると、こういった「タイミングが合わないこと」が多々あって、もどかしく思う。

 この日は順調に進んだ。日が完全に落ちる前にチレボンに入れる、と思った矢先、チレボンの10キロほど手前で後輪がパンクした。近くにあったプルタミナのガソリンスタンドでパンク修理をしたが、修理を終えると、もうすでに日は落ちており、辺りは真っ暗だった。ナイトランを覚悟してヘッドライトを頭に装着した時、近くに座っていた男性に声をかけられ、コーヒーをご馳走になった。

 近くに宿がないか聞くと、「Sini. Sini gratis(ここ。ここならタダだよ)」という、まったく予想していなかった答えが返って来た。この男性はこのガソリンスタンドの警備員であり、翌朝まで俺がいるから安心しろ、とのことだった。さらに、カマル・マンディー(トイレと手桶式シャワー)もあるし、腹が減ったら売店で何か買って食え、と。もう至れり尽くせりじゃないか。
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 このガソリンスタンドは手入れがきちんとされており、蚊などの虫も少なく、非常に快適だった。何より、夜風が涼しくて心地良い。その時に気付いたのが、下手な安宿よりもガソリンスタンドの方が快適なのではないか、ということ。これ以降、宿探しは、きちんとした快適な宿かガソリンスタンド、という2択になる。

 ガソリンスタンドの事務所の前で寝ていると、利用客から声をかけられた。本当は寝ていたいところだったが、無料のお宿だし仕方がないと思い、起きて会話に応じる。まるで動物園のパンダみたいだ。この後も、ここを利用する人の多くが、様子を見て、同じように声をかけてきた。眠い時はうっとうしくて仕方がなかったが、中途半端に目がさえて寝付けない時なんかは、逆にちょうど良かった。愉快な夜だった。

 この日以降、「プルタミナは俺の家だ!」というギャグをインドネシア人に披露すると、かなりの確率で笑いが取れることに気づく。

 
 
17日目 11月3日(日)
チレボン(Cirebon)→ インドラマユ(Indramayu)
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 日の出とともに起床する。ガソリンスタンドで拝む朝日はとてもきれいだった。カマル・マンディーを借りて体を洗う。ここのカマル・マンディーもよく手入れされており、非常にきれいだった。お世話になった警備員のおじさん、ガソリンスタンドのスタッフにあいさつをして、午前6時ごろ、出発。

 ガソリンスタンドからチレボンまでは10キロほどで、あっさり町へ入った。

 チレボンからは、スラバヤからずっと走ってきた国道1号線をいったん外れ、国道7号線を北上してインドラマユを目指す。

 7号線は1号線よりも交通量がグッと少なく、しめた、と思ったが、落とし穴が2つあった。まず、いまだかつてないほど単調な道のり。驚くほど同じような景色が延々と続く。気が滅入る。そしてもう1つ、車線が減って片側1車線になるため、自転車が走行できるスペースが狭くなり、今まで走ってきた道より危ない。睡眠不足による体のだるさが追い討ちをかける。
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 それでも、なんとか午前中のうちに、インドラマユに到着した。町に入ったころには、寝不足と疲労でフラフラしていた。そんな中での宿探しは本当に辛い。いつも通り、広場の方向へ向かう。すると、宿が2軒並んでいる区画を発見した。どちらも、なかなか高そうだ。

 まず1軒目、受付の女性がすごく美人、1泊30万ルピア、値下げ不可。あっさりあきらめて、その隣へ。2軒目、またしても受付の女性が美人、1泊28万ルピア。しかし、ここは、交渉するとグッと下がり、20万ルピアになった。それでもまだ高いけど、疲労をしっかり取ることが大事だ。何よりもう体力が限界に近く、再び宿探しをする余力は残っていなかった。美しい笑顔の受付女性とやりとりをして、死にそうな顔でチェックインする。泥のように眠りについた。
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 一眠りして疲れを取り、日が落ちかけた夕方から、市街を散策することにした。でも、その前に、溜まった洗濯物を洗わなければならない。バッグの中には洗濯用の粉洗剤を入れてあり、風呂に入る時に自分の体と一緒に洗う。洗い方にはコツがあって、体を洗う前に洗濯物を足元に置き、洗剤をかけて、足踏みをしながら泡立てる。その後に全身を石けんでこすってから、頭から水をかけ、洗濯物まで一気に水で洗い流す。こうすることで、水も時間も無駄にすることなく洗濯できるのだ。洗濯用ロープは日本から持参した愛用品があり、それを使って部屋の中で乾燥させるが、翌朝の出発までに乾かなかった場合、自転車の荷台に衣類を引っ掛けて、走行中の風で乾かす。

 さぁ、洗濯も終わった。市街を散策することにした。ホテルの受付女性にこの町のオススメを聞いたが、申し訳なさそうな顔で「この町には何もないです」と言う。その言葉の通り、中心部らしい中心部が見当たらなかった。強いて挙げるとすれば、「ジョグジャ」というスーパーの前か。それでも、中心部とは言い難いにぎわいである。必ず何かあるはずだ、と意気込んで散策したが、本当に何もなかった。「ジョグジャ」で3950ルピアのコーラを買ってホテルに帰り、寝た。(つづく)

小島鷹之(こじま・たかゆき)
記事執筆当時、法政大学4年生。ジャワ島自転車旅行に先立ち、2011年に東京から福岡を経由してソウルまで、2012年にはバンコクからシンガポールまでを自転車で走破した。現在、日本の通信社の記者。
 
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