文と写真・鍋山俊雄
ジャワ島の中部から東部はジャワ語圏だが、西部はスンダ語を話すスンダ人が中心であり、ジャカルタから少し足を伸ばせば、独特の伝統や生活様式を今でも守っている村を見ることができる。
ジャカルタの西隣であるバンテン州の山中に住むバドゥイ(Baduy)が有名だが、ジャカルタから、それとは逆方向の東へと向かい、バンドンを越えた所、ガルット(Garut)とタシクマラヤ(Tasikmalaya)の間に小さな村がある。この「カンプン・ナガ(Kampung Naga)」も、先祖伝来の生活様式を守る村として知られる。
バンドンからは相応の距離がある。バスを乗り継げば村まで行けるようだが、週末2日の弾丸旅行をするには、どうも時間が足りない。いろいろ調べたところ、ジャカルタのハリム空港からタシクマラヤまで、ウイングス航空が1日1往復、飛んでいることがわかった。それを使えば、土曜の昼過ぎにタシクマラヤに入り、そこで車をチャーターすれば、カンプン・ナガまでは1時間余りで行ける。午後3時ごろに到着すれば、夕方までの2時間半程度、村を見学することができる。
村は、タシクマラヤからガルットへ向かう幹線道路の脇にあり、バスも停車できる大きな駐車場に、いくつかのお土産物屋が並んでいる。入村料などはないが、村の人がガイドをすべく、駐車場で声をかけてくる。ここは遺跡ではなく、実際に人が住んでいる集落なので、説明展示ではないし、どっちみち村に行っても、人に話を聞かないと村のことはわからない。ガイドの1人に声をかけて、案内してもらうことにした。
村へは、ここから坂を下り、歩いて15分程度の道のりだ。昔はただの山道だったが、今では、ちゃんと階段が付いている。階段をのんびり降りながら、村の全景が収まる撮影ポイントを探す。
カンプン・ナガは思ったよりも狭く、同じ様式の家が同じ方向を向いて寄り集まっており、その周りを水田と川が取り囲んでいる。日常見かけるジャワの雑然としたカンプンの眺めとは違って、同一の家が自然の緑の中に整然と並ぶ風景は美しい。
ガイド氏の説明によれば、この地区は、約1.5ヘクタールの広さ。112軒の家があり、およそ300人の村民が住んでいる。居住地は竹の壁で区切られており、その外には家を建てられない。
この村では、先祖代々の伝統や独自の規範を守って生活しており、外部からの文明を自ら制限している。電気、ガス、水道もなく、昔ながらの道具のみで生活している村なのである。
家は、昼間の時間を通じて日の光が均等に当たるように、屋根の向きがすべて東西に平行になるように建てられている。そうすることで、屋根の材料も長持ちするそうである。
村の中にあるガイド氏の家にも案内してもらって、湯冷ましで入れたお茶を飲みながら、いろいろ話を聞いた。
家の中は基本的に3部屋で、居間、寝室、台所のみ。トイレと浴室は共同で、各家にはない。電気がないため、部屋の照明はランプ、煮炊きは薪を使って、かまどで行う。途中に小さな売店があり、ペットボトル入りの水を売っていたが、それは訪問者向けで、住民は共同の井戸の湧き水を沸かして使っている。
壁は石灰で白く塗ってあるのだが、竹を編んだ折り重ね構造のため、蚊も入らず、家の中は涼しい。昼間は竹の壁から光が入り、中から、外にいる周囲の人が見えるとのこと。夜は逆に、ランプの光が壁から透けて、家の外から、中の様子がほんのり見えるそうだ。
来る途中に、ごく少ないが、テレビの簡易アンテナのような物を見た。テレビはごく限られた人が保有している。電気がないので、バッテリーを使うらしい。
各家の軒先では、女性たちが、昼間の副業として竹細工を作っている。村に学校はなく、子供たちは、村に入る時に降りた階段を、毎日、上り下りして、村の外部にある学校に通う。
結婚は、「イスラム教徒が相手」という以外に、制限はないそうだ。家の数が限られているので、この村出身者の多くが、村の外にも、たくさん家を建てて住んでいる。居住地以外であれば、現代の機械を自由に使っても良いとのことだ。年に6回ほど、イスラムの慣習に則った村の伝統行事があり、多くの村出身者が集まる。
この村の歴史はとても古いのだが、1956年に、イスラム国家独立を目指す団体の攻撃を受けて、村が全焼した。その時に、保存してあった先祖代々の文書、村の歴史、記録など、すべて焼失してしまったそうだ。天然素材の家で、狭い場所に軒先を連ねて建っているので、ひとたび火事が起こると、あっという間に燃え広がってしまう。今の集落は、その火事の後、再建されたものだ。
家から出て、村の中で一際、大きな建物の前に来た。カンプン・ナガのモスクである。モスクには、木の幹をくり抜いた鐘のような物があり、村人を集める時には、これを叩いて招集する。
村は小さいので、中をぐるっと見るだけなら、30分ぐらいで一回りできてしまう。ガイド氏と話しながら、元来た道を戻り、駐車場に向かう。山肌を登る階段の近くには、バレーボール・コートがあった。ここは村の居住区域内ではないから、このような物も作れるのだろう。
基本的に、文明の機器を導入するか否かは、村の長老会議で決めるそうだ。電気も水道もない村なのに、面白いことに、近年、この手続きを経て使用が許可されたのは、なんと、スマホ。理由は、学校に行っている子供たちや、外で働く人たちとの連絡に必要だから、ということらしい。ただし、村の中には電気が通ってないので、村の外の家に預けて充電をする。
ガイド氏の知る限り、カンプン・ナガのような伝統的な生活を続けている村は、ジャワ西部ではバンテン州のバドゥイ以外に、小さな伝統家屋が残っている地域が少し。そのほかは、ほとんど知らないとのことだ。
バドゥイの住民とはスンダ語が通じるので、村同士で交流がある。ガイド氏もバドゥィの村に行ったことがあり、外バドゥイの人がカンプン・ナガに来たこともあるそうだ(内バドゥィの人たちは、車に乗ることが禁じられてるので、さすがにここまでは歩いて来られないだろう、と言っていた)。
駐車場でガイド氏と別れ、車でタシクマラヤまで戻り、そこで1泊して、日曜昼のウイングス航空でジャカルタに帰った。
私は、バドゥイの村には行ったことがないのだが、かなり山奥にあり、周辺と隔絶されていると聞く。一方で、幹線道路からさほど遠くなく、周辺の村外の家にスマホの充電を頼むけれど、頑ななまでに、村の中では伝統様式を守るこの村。緑の中にたたずむ美しい風景が今後も維持されていくのか興味深いところだ。