Bumi Manusia
インドネシアを代表する作家、プラムディヤ・アナンタ・トゥールの名作がついに映画化された。オランダ植民地時代の不条理を受けた主人公が、自分とは、自分たちの民族とは、そして人間とは何かを問い、自己に目覚めていく過程を描く。美しい映像の中で繰り広げられる一大時代絵巻のような作品だ。
文・横山裕一
ついにインドネシアを代表する作家、プラムディア・アナンタ・トゥールの名作が映画化・公開された。原作は1980から90年代、当時のスハルト政府により発禁処分されていた不遇の作品だ。植民地時代の支配する者とされる者、そこに生じる不条理から、自分とは、自分たちの民族とは、そして人間とは何かを問い、自己に目覚めていく過程を描く。ハヌン監督自らが認めるように原作にとても忠実だが、強いメッセージが込められた、美しい映像の中で繰り広げられる一大時代絵巻のような作品だ。
舞台は20世紀初頭。現在でいうインドネシアの地はオランダの植民地支配が約300年続いていた時代である(オランダ政府の直接支配は1800年から)。主人公はプリブミ(土着民族)で県知事を父に持ち、オランダ人学校に通うミンケ。彼が友人に連いていったある家で、同年代の少女アンネリースに出会うところから物語は始まる。彼女の父親はオランダ人、母親はプリブミ。アンネリースは当時よくあった、オランダ人の現地妻の子供だった。
自己紹介するミンケ。アンネリースが尋ねる、「苗字はないの?」
「プリブミだから(ジャワでは殆どが苗字を持たない)」。答えるミンケ。
「そう、でも私のママもプリブミよ」。そう屈託なく微笑むアンネリース。
プリブミと言ってもバカにしないどころか、かえって親しみを持ってくれる聡明なアンネリースに心惹かれるミンケ。やがて二人は愛し合うようになる。さらにミンケは母親のニャイ(当時の現地妻の呼称)が被支配層のプリブミながら、夫の経営する大農場を女手ひとつで手際よく取り仕切っている様子を見て驚くとともに尊敬の念を抱く。近代プリブミ女性のあるべき姿を思い描く。
しかし、当時の植民地社会を反映して、それぞれに差別・偏見をうけていたのも事実だ。同じプリブミでありながら、支配者であるオランダ人の現地妻になった事でニャイはプリブミからも蔑まされた。その子供であるアンネリースはオランダ人としては認められず「インド」と呼ばれ、オランダ人、プリブミ双方から疎まれる。
そんな事は意に介さないかのように強く振る舞う母娘に、ミンケは強い共感を受け、同時に自らも近代プリブミとして生きようとする勇気を抱いていく。当のミンケも地方政府の役職者の息子のためプリブミとしてはまれなオランダ人学校に通うエリートだったが、学校のオランダ人、「インド」の学友から「プリブミ」と馬鹿にされていた。さらには「インド」の女性とつきあったために、プリブミの父親から折檻も受けていた。
ニャイに温かく見守られながら、ついにミンケとアンネリースは結婚する。しかし、オランダ人のアンネリースの父親が娼館で毒殺されたのをきっかけに事態は急変する。殺害の関与を疑われるニャイとミンケ。さらには最愛のアンネリースとも引き離されそうに。植民地時代の「被支配」という強大な渦に翻弄されながらも抗おうとミンケの闘いが始まる。オランダ人に圧倒的に有利な法律がミンケに追い討ちをかける……。
本作品の監督、ハヌン・ブラマンティオ氏(43歳)は数多くのヒット作も出した実力派監督で、近年では「スカルノ」(2013年公開)や「カルティニ」(2017年公開)、「スルタン・アグン」(2018年公開)など歴史映画も多く手がけている。最新作「人間の大地」についてハヌン監督は、「自らの映画キャリアで頂点に達したものだ」とまでコメントしている。その背景には同監督の長年の強い思い入れが背景にあるようだ。
冒頭に書いたように原作本は1981年から約20年間、発禁処分を受けている。作者のプラムディアは1950-60年代には汚職批判や中華系インドネシア人に対する虐待をテーマとした作品などを手がけていた。1965年、共産党系将校によるクーデター未遂事件とされる930事件が起きると、スハルト政府はプラムディアをコミュニストとみなし、事件に関与したとして投獄する。政治犯として14年間獄中生活を余儀なくされたプラムディアだが、その間も執筆を続け、その中の一冊が「人間の大地」である(プラムディアは79年に「930事件に関与はなかった」として釈放されたが、92年までジャカルタで軟禁状態だった)。
ハヌン監督は17歳だった94年、発禁処分の同書を人目を忍んで読んでいたという。「見つかったら逮捕されるんじゃないかとビクビクしながら読んだ」とのことだが、同時に「このテーマは誰もが知るべき事だ」と強く感じたという。後に映画人となった同監督はプラムディアと出会う。プラムディアは「人間の大地」の映画化を強く希望していたという。ハヌン監督にとっては少年時代、そして青年時代からの「思い」をようやく「映像化」できた感慨深さから、「プラムディアの夢が実現した」と6月の試写会で涙ながらに告白している。
プラムディアの晩年(2006年死去)、交友があったというミュージシャンから聞いたエピソードだが、プラムディアは亡くなる間際になっても「若者は自分が正しいと信じた事に対しては、どんな大きな相手にだって戦い続けるべきだ」と話していたという。無実の罪で投獄され、獄中でも執筆を続けたプラムディアの強い信念が、魂が、ハヌン監督を通じて今回映画化させたのではないかとまで思えてくる。
本稿第4回で触れたように、主人公ミンケを演じたのは映画「ディラン1990」シリーズでディラン役を演じたイクバル・ラマダン。ここでも好演している。彼の小柄で華奢な体格が一見、オランダ人やオランダ人の血を引く「インド」の大柄な面々の中で、体力的にも劣って見えてしまう当時のプリブミのイメージと重なる。しかし、彼ならではの強い眼差しは健在で、ミンケの「意思の強さ」がしっかりと表現され、彼を自身を大きく見せている。
アンネリースの父親殺害の疑いをかけられた裁判で、圧倒的に不利になった時、一点を見据えてミンケは叫ぶ。
「俺たちにはまだペンがある!」
その後、新聞への投稿を続けて、民意を高めミンケたちは無罪を勝ち取る……。
この叫ぶシーンの強い眼光はまさに彼ならではのものだ。制作当時、ミンケの配役で困っていたハヌン監督も友人の勧めで「ディラン」を観て「(若手の中で)演じるスピリットを持つ俳優は彼しかいない」とイクバルに即決したという。
この他、歴史学者に監修もさせた、植民地時代のセット風景もみどころだ。ハヌン監督も「原作の80%は映像化した」と胸を張る。広大な美しい農園、瀟洒なオランダ様式の混ざった住宅、ヘロインの煙が怪しげに漂う中華様式の娼館など。原作を読んだ時、頭に描いていた風景が蘇ったかのように、スクリーン一杯に植民地時代の世界の雰囲気を感じる事ができる(勿論原作を読んでいない人も同様に楽しめる)。
インドネシア映画としては異例の3時間という上映時間だが、特に後半はたたみ掛けるように物語が展開するため長さは感じない。そして、時代の不条理に圧倒されるラストは涙なくしては観られない。原作小説「人間の大地」は4部作だが、個人的には少なくとも2作目、「すべて民族の子」は続編として是非観てみたい。