【Cross People】 インドネシア・ロックと日本を繋ぐ Rockindさん(ミュージック・コーディネーター)

【Cross People】 インドネシア・ロックと日本を繋ぐ Rockindさん(ミュージック・コーディネーター)

2024-07-25

 「チャチャチャッ、チャチャチャッ」というケチャを思わせる音声と英語で歌う女性ボーカルが混じり合い、スリン(笛)やゴンの音も響く。「『闇鍋』的なごった煮カオス」とも評される、インドネシアのプログレッシブ・ロックのバンド「Discus」(ディスクス)。海外でライブをするなど、世界的な評価も高い。そのCD3枚が2024年3月に日本のレーベル「ディスクユニオン」から発売され、約2500枚を売り上げて関係者を驚かせた。

 その仕掛け人であり、レーベルとバンドの橋渡しをしたのが、インドネシア音楽ファンの間ではよく知られた存在である、「Rockind」(ロッキンド)さんだ。

プロデュースしたCDを手にする永田さん
プロデュースしたCDを手にするRockindさん

 Rockindさんが初めてインドネシアへ来たのは1998年3月。スハルト政権崩壊の契機となる「5月暴動」が起きる直前のことだった。日系商社の駐在員として赴任し、2004年まで南ジャカルタ・クマンに住んだ。

 当時のインドネシアは「カフェ」全盛の時代。カフェは、夜にはライブハウスとなり、名だたるバンドの生演奏が繰り広げられる。クマンでも、ジンバニ・カフェ、ニュース・カフェといった有名なカフェ10軒ほどが立ち並んでいた。学生時代にロック、プログレ、メタルを聞いていたRockindさんは、再びその血を呼び起こされる。夜な夜なカフェ巡りをし、カフェに入り浸るようになった。さらに、1980〜90年代の音楽も聞きたいと思い、パサール(市場)へ行ってはカセットテープを探して買いまくり、ライブとテープでインドネシア音楽を密度濃く聞きながら、「インドネシア・ロックマニア」というウェブサイトを主宰していた。

 「インドネシアのロックには独特なもの、独特なにおいがある」とRockindさん。インドネシア・ロックでは、音楽は「泣き」を追求し、歌詞には「願望」が全面に出て来る。「日本では、そこまで『泣き』はない。インドネシアで80〜90年代に流行ったスローロックは、ひたすら「泣き」の音楽を追究する。インドネシアは、熱い部分もあるけど、『泣き』も好きなんだなぁ、と感じた」。そして歌詞を見てみると、「ambisi」(願い)、「hasrat」(欲望)といった、「願望」を表す言葉が多用されており、「それが若者に刺さるのだろう」とRockindさんは語る。

 Rockindさんはインドネシア人ミュージシャンからも注目を集め、彼らとの親交を深めていった。その中で知り合ったバンドの一つがディスクスだ。知人のインドネシア人プロデューサーが「プログレのコミュニティーを作りたい」と中央ジャカルタ・チキニにラジオ局を立ち上げ、そのスタジオで初めてディスクスの音を聞いた。

1999年、ジャカルタのFM曲でマニアックなプログレだけを3時間かける生番組があった。その番組のDJがプロデュースしていたバンドがDiscus。スタジオで彼らの音を初めて聞いた時は衝撃的だった……。セカンドアルバム「…tot licht!」(「……光へ!」、2003年)は、日本の友人とともに日本のレーベルに売り込み、日本で発売された。鬼才Iwan Hasan率いるこのバンドの音は、メタル、ジャズ、エスニックがミックスされたすさまじいものだ。

Rockindさん

 ディスクスのリーダー、イワン・ハサンさんは米国でジャズやクラシックを学んでいる。ディスクスの曲は、日本では2011年にNHKラジオで取り上げられて、評判となった。

 2023年、各国のプログレを扱う雑誌「不思議音楽館」(夏号)にRockindさんが「インドネシア・ロック特集」を寄稿し、ディスクスも含めて紹介したところ、日本のプログレ・ファンに好評だった。このため、この雑誌の編集長とRockindさん、レーベルの間で「日本で出すなら、やっぱりディスクスでしょう」と、CD発売の話が進んだ。CDは日本でプレスし、2024年3月に発売。

 ディスクスのファーストアルバム「1st」(ファースト)、セカンドアルバム「…tot licht!」(…光へ!)、それに「Live in Switzerland Official Bootleg」(ライブ・イン・スイス)を加えた3枚(ボックス入りセットで9900円、ばら売りもあり)。「大変な労力だった」と言う、約5カ月もかかった日本のレーベルとバンド側とのやり取りは、Rockindさんが無償ボランティアとして担当した。

 ディスクスのCDは、なぜ日本でウケたのか? 「プログレは、いろんな音楽のごちゃ混ぜ。自分の国のアイデンティティーを色濃く取り入れているのが、他国の人には新鮮に映り、好事家は引き付けられる」とRockindさんはみる。

インドネシアのプログレは、「知る人ぞ知る」世界だが、インドネシアらしさが至る所に散りばめてあるのが魅力。特に、インドネシアに住んでいたり、住んだことのある人にとっては、そのインドネシアらしさが、とても面白い。どうやって聞くか、ですか? 「真剣に」聞く!!

Rockindさん

 3枚の中でRockindさんが特にお薦めする曲を聞くと、「セカンドアルバムの『アンネ』はシンフォニックかつ女性のボーカルラインで、聞きやすい。ただ、退屈と言ったら退屈なので、メタル好きには、もっとメタル色の強い『システム・マニピュレーション』とか」とのことだ。

 Rockindさんは、このディスクスのCD3枚のほかに、2024年6月に、やはりインドネシアのプログレ・バンドの「Imanissimo」(イマニッシモ)のCD2枚組「Happiness and Sadness」(ハッピネス・アンド・サッドネス)と「Enigma」(エニグマ)の日本発売を手がけたばかりだ。インドネシアでプレスした200組(400枚)を販売し、完売した。

 こうしたインドネシア人ミュージシャンと日本のレーベルを結ぶ活動で、Rockindさんはいっさい収益を得ていない。「インドネシアの音楽が好きなので、インドネシアの音楽を広めていきたい」と語る。

インドネシアに計13年在住し、インドネシアの音楽に愛着がある。喫茶店に行くような感覚でライブに行っており、とてもぜいたくな空間だった。そのころに感銘を受けた音楽を広めたい、リアルタイムで知り合ったミュージシャンたちをなんとかしてあげたい、という気持ちです。

Rockindさん
インドネシアで1980年代から活躍していたバンド「Elapamas」のメンバーと永田さん(右から3人目)。「Pak Tua」というヒット曲を出している(写真は永田さん提供)
インドネシアで1980年代から活躍するバンド「Elapamas」のメンバーとRockindさん(右から3人目)(写真はRockindさん提供)

Rockind(ロッキンド)さん
大阪出身。日本の商社マンとして、インドネシアに1998〜2004年、2011〜2018年の2回、計13年間駐在した。駐在中にインドネシアのロック音楽に触れ、ミュージシャンたちと親交を持つようになる。最近は、日本の雑誌「不思議音楽館」などにインドネシア・ロックについて寄稿。ボランティアで、インドネシア・ミュージシャンのプロデュース活動をしている。62歳。

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