インドネシア映画を好きになったことから、インドネシア語を勉強し、映画のロケ地まで足を伸ばす。日本在住のゾンビ犬さんに、インドネシア映画の何が「推し」なのか、語っていただきました。日本でも、Netflixやアマゾン・プライム1で、日本語または英語字幕付きでインドネシア映画を見られます。これを読んだ皆様も是非!

文と写真・ゾンビ犬
ちょっと前まで、ただの映画好きだった。だけどいまは「ただの」ではなくなった。かぎかっこに何が入るかといえばもちろん。
インドネシア
わたしのインドネシアの推しは、映画だ。
出会いは『グンダラ』、労働争議から始まるコミックヒーロー映画!
最初に出会ったのは2020年12月、新宿。インドネシアのコミックを原作にしたー大映画プロジェクトBCU《ブミラギット・シネマティック・ユニバース》2第一弾『グンダラ』(Gundala)。だから、そこから始めよう。

映画『グンダラ』は労働争議から始まる。あまりにもクールだ。労働争議から始まるコミックヒーロー映画、その時点でスタンディングオベーションを送りたい。同僚を率いるリーダーは主人公サンチャカ(グンダラ)の父。このホットなお父さんは名前も与えられてはいないけれど、戦う理由を問われてこう答える。
不正を目にして何もしなければ、人間とはいえない
これこそが『グンダラ』の肝だ。お父さんが斃(たお)れても、サンチャカの前には、その言葉を体現する人々が次から次へと現れる。孤児になったひとりぼっちのサンチャカを助けるシラットの達人少年。立ち退きに抵抗する市場の店子。不道徳米(妊婦が食べると生まれる子供が不道徳になる米)の解毒薬のため、マフィアに屈することなく声を上げる政治家。スーパーパワーをもつのはサンチャカなのに、先にヒーローとして現れるのはそういう人たちだ。そうして彼らに巻き込まれるようにして戦い始めるサンチャカは、あなたは誰かと問われて「一般市民さ」と答える。痺れる。
サンチャカは自分をヒーローだと名乗らない。グンダラ(ジャワ語で「雷」の意)という名前すら、最後まで知ることはない。敵が勝手にそう呼んでるだけで、サンチャカは最後までただのひとりの人間だ。
特別な誰かじゃなくてもヒーローになる可能性はいつだって私の/あなたの手の中にある。『グンダラ』は映画と観客をスクリーンで区切らなくて、インドネシアにはそういう映画が多い。特に暴力描写において。例えばそう、『フォックストロット・シックス』(FOXTROTSIX)。

ヒーローにもヴィランにもなれてしまう私たち
『フォックストロット・シックス』はすごい映画だ。なにがすごいって、どう考えても三部作の二部作目なのに、一部と三部が存在しない。〝ない〟のに〝ある〟から、全部「皆さんご存知の」ってテンションで出てくる。知らない人たちが知らない因縁を匂わせながら集合し「これが見たかったんですよね」といわんばかりにスローモーションで歩いてくる。
かっこいいパワードスーツ(上写真のDVD参照)が現れれば「応援上映で叫べるシーン、用意しときました」の勢いで「コディアックだー!」の決め台詞が入る。初めて聞く名前ですね?と思うけどそんなこと言える雰囲気じゃないので、だんだん『フォックストロット・ファイブ』を見逃してしまったんじゃないかという気がしてくる。何度も見ていると『ファイブ』の記憶は勝手に脳内に作られていく。ウィスヌ、『ファイブ』でアンガに置いて行かれたのまだ引き摺ってるんだ……など。
そんな、否応なく想像力を刺激するこの映画、食糧難に見舞われた近未来のインドネシアで、暴力革命によって政権を握り独裁を敷く権力者たちと、それに反旗を翻す改革団の戦い、という、一見とても呑み込みやすい内容になっているのに、ラストにそのわかりやすさは一転する。政権の非道が暴かれ改革団が勝利した後、支配からの脱却を祝う高揚感は与えられない。散々サービスシーンを盛り込んできたのにクライマックスにあるべき〝お約束〟はない。
敵は、暗い森の中、名もなき市民に斧やゴロックで殺される。赤みがかったライトに照らされた、もの言わぬフードを被った市民と敵との、その違いを明確にされない演出は、決して気持ちよい勝利で映画を終わらせない。大団円だったはずの物語なのに、観客は自分の手の中に常に既に在る暴力、というものを見つめさせられる。ヒーローになれる一般市民の私たちは同時にヴィランにもなれてしまうのだ。いつだって。
この、無視のできない気持ち悪さが好きだ。ホラー映画を見た日の眠れない夜みたいな。布団の中で目を閉じながら幽霊に見下ろされているんじゃないかと感じるみたいに、インドネシアの映画はエンドロールの後も終わらずに私の生活についてくる。ホラー映画大国であるインドネシアだから、あながち間違った感覚でもないかもしれない。

見たい気持ちが怖さを上回るホラー
怖がりなのでホラーは得意な方ではないけれど、インドネシアのホラー映画は、悪魔祓い師がシラットで戦ったり(『QODRAT』)、ククリナイフとクリスで悪霊に応戦して「私を殺す? あんたが先よ」とかましたりする(『サブリナ 人形の悪夢』=Sabrina)ので、見たい気持ちが怖さを上回る。病で寝ているだけでほとんど出てこないイスラム指導者役をチェチェプ・アリフ・ラーマンが演じていた時にはなぜそんなもったいないことを、と思ったけれど弟子の悪魔祓い師がシラット超強い設定だったので納得した。これ以上の説得力があるだろうか。
アクションとホラーばかりが注目されがちだけど『アリ&クイーンズ』(Ali & Ratu Ratu Queens)や『いつか今日の話をしよう』(Nanti Kita Cerita tentang Hari Ini)のような最ッ高で最愛のファッキン家父長制映画の話もあるんだって話もしたい。したすぎる。でももうエンドロールを始めなくては。
グンダラに出会ってから4年とちょっと。そんなに時が経つのかとびっくりするけど、その間、映画紹介同人誌を作ったり、ジャカルタに飛んだり、インドネシア語検定を受けたり、インドネシア映画推しになっていなければ出会えなかっただろう経験をたくさんしてきた。でも、満足には程遠いのだ。
もっと見たいし、もっとみんなに見てほしい。日本でたくさんのインドネシア映画が公開される日が来るのが夢だ。だから私の〝イし活〟に「監督 ゾンビ犬」の文字が浮かび上がる日はまだ先である。

- 英語設定にするとインドネシアに限らず見られる映画が激増します。もちろん字幕は英語ですが。アマゾン・プライムも「英語字幕のみ」ならインドネシア映画が入っていたりする。 ↩︎
- なぜか日本の関係各社は「ブンミラゲット」と言い続けるが、「ブミラギット」(Bumilangit=『グンダラ』をはじめとしたインドネシア・コミックヒーローの知的財産権を持つ会社)です。 ↩︎
ゾンビ犬(ぞんびいぬ)
インドネシア映画好き。好きが高じて同人誌を作ったりZINEを作ったり。インドネシア映画ファンを増やしたくて宣伝に勤しんでいる。
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