文と写真と動画・飯田茂樹
ロンタルヤシの葉をじゃばらの小舟形の共鳴板にした珍しい楽器、ササンドゥ。インドネシア東部のロテ島で使われています。その形状は独特、音を聞くとまたびっくりします。鉄弦のお琴。歌の伴奏をするかと思えば、メロディアスに旋律を奏でたり、ブルースのように情感豊かに語りかけたり。筆者の撮影した貴重な動画と写真で、多彩なササンドゥの音と現地の雰囲気をお楽しみください。(動画=音声付きです)



目次
【動画】自由で即興的なササンドゥの伴奏に、魂から訴えかけるような語らいには大感動。アメリカ南部で生まれたブルースのロテ島版か?!
自由で即興的なササンドゥの伴奏に、魂から訴えかけるような語らいには大感動。ロテ島の奥地に入り、現代に継承し続けられているササンドゥ音楽の源流に出会えたような気がした。アメリカ南部で生まれたブルースのロテ島版といったところか?!
【動画】新しいジェネレーションに引き継がれるササンドゥ。若い世代がイキイキしているシーンに出会うとうれしくなり楽しくなる。
若い世代が多いインドネシアでも、伝統的な芸能・音楽の継承は地方によっては問題がある。楽器の製作から演奏と歌も新しいジェネレーションに引き継がれ、若い世代がイキイキしているシーンに出会うとうれしくなり楽しくなる。ずっと応援したい!
1982年、初めてインドネシアを訪問してから、インドネシアへ渡航した回数がすでに100回を超えたことに最近気付き驚く。歳をずいぶんと重ねたということと、いくら航空会社に貢いだのだろうかと(笑)。
これらの旅の目的は当初、3年間のバリ・ガムラン留学を含め、主にバリ島の文化・音楽の学びであった。しかし、そこから興味の範囲がどんどん広がるには、さほどの時間はかからなかった。近隣であっても民族が異なると文化が違い、言語も変わる。そうするとそこには多種多様な音楽が存在し、それらは私を魅了していった。
「未知の音楽・芸能に出会いたい」といった感情は際限なく膨らみ続け、可能な限り多くの島々に足を運んで来た。20歳前半の青春時代に育んだこの感情は、「3つ子の魂100まで」から外れることなく、また色褪せることもなく今現在も続いている。
そうした旅を始めるきっかけとなったことが2つほどある。
1つは、バリ州政府主催の「バリ芸術祭」(Pesta Kesenian Bali、現在も継続して毎年開催されている)のステージで「ロンボク島とスンバワ島」の芸能を見たことだ。そこにはバリ島・ジャワ島のガムラン音楽とは全く異なった多様な音(と楽器)が広がり、紡ぎ出される初めて耳にする音の数々に完璧に魅了されてしまった。しかしながら民族音楽は、それが生まれ育まれた土地で体験するものだ、といったこだわりがあり、バリ島のコンサート会場で聴くものではないといった本能的な感情から、その公演の直後、勢いでバイクとフェリーを乗り継ぎ、なんと出演グループの地元を訪ねる旅を始めてしまったのだった。

【動画】ロテ島の子どもたちによる歓迎の踊りと演奏。文化の継承は人類の営み。
ササンドゥの演奏家を探している中、偶然にも歓迎の踊りと演奏を披露してくれる子供たちと出会う。楽しく真剣に演じる子どもたちを見て、「いいなー」「うらやましいなー」と心から思う。文化の継承は人類の営みなのだから、淡々と続けていってほしい。
さて、話を戻そう。
2つ目のきっかけは飛行機の移動時に手にする、座席の背もたれに置かれている「機内誌」の存在だ。たまたまそこで、見たこともない美しいフォルムの「ササンドゥ」(東ヌサトゥンガラ州ロテ島の楽器で、椰子の葉を反響板・共鳴胴にした鉄弦のお琴)という楽器が紹介されていて、瞬殺、一目惚れしてしまった。サッカー界のキング・カズが、ブラジルにサッカー留学時、りさ子さん(現・奥様)のポスターを見て一目惚れをして、猛アタックをしたというエピソードと何か似ているなあ、と当時思ったことを記憶している(同郷静岡県人のどうでもいい話でした笑)。


機内誌の「ササンドゥ」のグラビア写真を目にしてから実物に出会うまでの数年間、「この楽器は、どんな場所で、どんな人たちによって、どんな音楽を奏でるのか?」といった「ササンドゥとロテ島の妄想」に取り憑かれた。
私の音楽を探す旅「音楽探しある記」の仕方は単純明解、その楽器・音楽のある地を訪問し、その土地・人々・食とふれあいながら音楽と共振することなのだ。
「ササンドゥ」は東ヌサトゥンガラ州ロテ島の楽器なので、まず、その州都クパン市のあるティモール島に飛んだ。そして、そこにある博物館や、教育文化局や観光局などの行政機関を訪ねたり、それと並行してホテルや土産物店の人、タクシー・バスの運転手などの情報収集も合わせて行った(まだインターネットなどない時代、情報は足で稼ぐしかなく、その手法は今も変わらず続けている。現代の人には面倒くさい変人だと思われているかも笑)。

半日も尋ね回ると大なり小なりの貴重な情報が現れ、その情報をきっかけとして再度、人や土地を尋ね回る。それを繰り返すうちにターゲットがどんどん絞り込まれていく。インドネシアのいいところは、行動したらしただけ必ず成果が現れ、徒労に終わり「やってらんないわー」みたいなことにはめったにならない。成功率は高く、出会うまでのプロセスは千差万別、毎回異なり、面白く、時に感動的である。それが故に「音楽探しある記」はやめられないのかもしれない。

【動画】伝統的な五音音階(ペンタトニック)のササンドゥの演奏。ロテ人の心の歌。
伝統的な五音音階ペンタトニックのササンドゥの演奏と歌は、やはり長年歌い継がれてきた存在感・重みがあっていい。日ごろもドレミファ・ササンドゥだけではなく、この昔ながらの楽器を多用してロテ人の心の歌をたくさん披露してほしいと思う。
【動画】ドレミファ音階(ダイアトニック・スケール)のササンドゥの演奏。プラスの面とマイナスの面。
明治時代、13弦の伝統的なお箏の世界にドレミファ音階のお箏が登場した状況と似ているような。1980年代からドレミファ音階ダイアトニック・スケールのササンドゥが登場し、ロテ島の伝統曲以外の曲もこのササンドゥで演奏できるようになった。おのずとプラスの面とマイナス面が発生。ドレミファ・ササンドゥでロテ島伝統楽曲も演奏できるが、それは似て非なる物。2つの楽器をバランスよく使って新しい時代を作っていってほしいものだ。
目的の楽器に出会うまでの、人々との出会い、語らいは楽しい。「日本からササンドゥを探しに来ました」「どうしてわざわざ?」「日本にはない素晴らしい楽器なんです」「こっちだと柄杓や容器として使うようなもので、別にどうってことないんだけどなあ」などなど。庶民レベルの本音のお話を聞けて、とてもありがたい。そして最後には「日本だけではなく世界中の人が皆さんの文化に注目しているんですよ」と、リスペクトを伝えることは忘れないようにしている。唯一無双、民族の叡智の結晶なのだから、本当に。
この時の「ササンドゥ探し」の旅(1992年)は、クパン市郊外のロテ人の集落があるオエベロ村に伺い、「ササンドゥ」の演奏家、歌い手、そして楽器製作者にも会うことができた。
繊細なササンドゥの演奏と主張のある歌、手のひらに乗るようなサイズだが表現力豊かな椰子の実を使った太鼓の合奏を披露してもらった(この時の演奏はキングレコードの「ワールド・ルーツ・ミュージック・ライブラリー」に取り上げられCD化されたが、残念ながら廃盤となっている)。

この「ササンドゥ」との初めての出会いから30余年を経た2024年、「ササンドゥ」の発祥の地、ロテ島にも訪問することができた。感慨もひとしおだった。
「イし本」、または「私のイし」を読まれているのは、インドネシアに魅せられた方、専門家の方が多いと思う。さまざまなことが多様化した現代、インドネシアのジャワ島、バリ島以外の音楽にも目を向けてみてはいかがでしょうか。

飯田茂樹(いいだ・しげき)
NPO法人「日本インドネシア・バリ教育文化協会」代表。音楽家。
「ササンドゥ」の表記
現地でも、ササンド(Sasando)の表記があったりするのですが、1992年に録音した2人の演奏家のご意思を受け継ぎ、また他の資料なども考慮して、私はササンドゥ(Sasandu)に統一しています。

