文と写真・鍋山俊雄
この連載を始めて、インドネシア全34州の半分に当たる17州が終わった。今回から後半に入る。後半の初回は、ジャカルタ特別州。
34州のうちで、何を書こうか最も困ったのがジャカルタだ。日本の友人にも「ジャカルタには何も見る所がない」といった、やや自虐的なコメントをしていた。しかし、首都ジャカルタは、中心部には高層ビルが立ち並ぶものの、ちょっと郊外に出ると、すっかり風景が変わる街でもある。ということで、インドネシア人がジャカルタに来た時に行く「定番(モナス以外)」を探してみることにした。
日本から到着する飛行機でスカルノハッタ空港に向けて降下する時、ジャカルタに着く前の海に、何かやぐらのような骨組みが一定間隔で並んでいるのを目にすることがある。あれは何なのか、ずっと気になっていた。また、インドネシア各地の砦(benteng)を巡るのも、自分の旅のテーマの一つ。ジャカルタ近辺に砦はないのかと調べていたら、ジャカルタ近郊の小さな島のいくつかにあることがわかった。
ジャカルタ沖にはプラウ・スリブと呼ばれる定番の観光地がある。そのうちの近距離の島々に、今回ご紹介する興味深いスポットがあった。

島からはコタの高層ビルがうっすらと見えるぐらいのジャカルタからの近さなので、青い海のビーチ・リゾートではない。居住者もほとんどいない。しかし、島の歴史を物語るオランダ占領時代の遺跡がたくさん残っている。
これらの島々のうち、3つの島を半日で巡るツアーがあり、なんと10万ルピアを切る値段と、非常にお手軽だ。多くの地元の旅行会社がオープン・トリップを実施しており、これに参加した。
集合場所は、市内からスカルノハッタ空港に向かう高速道路を走ると、最後に大きく左折していく辺りの地域にある。民家が密集する場所を通って、海に向かう。ジャカルタの沿岸で獲れた魚が水揚げされる魚市場を抜けた所にあるモスクが集合場所だ。




そこから小さな漁船に乗り込み、午前8時ごろに出発。乗客で外国人は私だけ。隣に座ったインドネシア人家族は、東ジャワから休暇でジャカルタに来ているそうだ。「青く澄んできれい」とは言えない海だが、漁に出ている船や水鳥の群を見られ、大都会のジャカルタにいながらにして、普段、見たことのない風景が広がる。


しばらく行くと、飛行機から見える、例の骨組みのような物が整列している場所に出た。船頭に聞くと、竹の棒を組んで20メートルぐらい下の海底に突き立ててああり、網の中に貝が集まって来るのを待つという。6カ月に1度ぐらい、網を引き上げて収穫するそうである。

港から距離にして2キロ弱、時間にして40分余り、のんびりと船を進めると、島がいくつか見えてくる。小さな森に、人家と思われる家、何やらコンクリートの壁が残った家屋のような物が点在している。
この辺りには、ケロル(Kelor)島、オンルスト(Onrust)島、チピル(Cipir)島、ビダダリ(Bidadari)島があり、今回参加したのは、このうちビダダリ島を除く3つの島を巡るツアーだ。
まずはケロル島に向かう。島と言っても、マルテロ(Martello)砦と砂浜しかない小さな島で、居住者はいない。






マルテロ砦は1850年、オランダによって建造された。バタビアの海上防衛が主な目的で、円型の石垣に、のぞき窓と砲台のための穴が残っている。一部崩れた壁が、オブジェのように砂浜に埋まっている。

そこから10分ほどかけて移動したオンルスト島は、もう少し大きい。昔、医者が住んでいたという家が博物館になっている。「Onrust」はオランダ語で「休みない(忙しい)」という意味だそう。17世紀にオランダは、船建造のための木をこの島で伐採しており、一時は多くの東南アジアの船舶が、修理のために、この島に立ち寄ったそうだ。




その後も、オランダ東インド会社(VOC)がドックと倉庫を建造している。20世紀初頭には、メッカ巡礼者(当時は数カ月かけて船で往復した)用の検疫施設として使用された。その後、戦時中には重罪者の刑務所、インドネシア独立後は伝染病の隔離施設が置かれていたこともある。施設は近年、朽ち果てていたが、1970年代に歴史施設保全のための整備が進み、手近な観光地になったとのことだ。島内には、博物館のほか、病院跡や伝染病隔離施設跡、砦跡が、説明書きとともに残っている。



ここで、ツアーに参加した20人余りで、昼食を取る。簡単なおかずとご飯を思い思いの場所で、ぼんやり見えるジャカルタの高層ビルや海を眺めながら食べた。
最後の島、チピル島にも、病院跡、オランダ占領時代に建造された砦、いくつかの大砲が残っている。






オランダの進出後350年近くは、バタビアに近いことから戦略的に、文字通り「休みなく」、いろいろ活用の形を変えていったこれらの島々からは、どのような景色が見えたのだろうか。バタビアはどのような風景だったのか。まだ高層ビルもないが、海は今よりもっときれいだっただろう。
島内の病院跡などを一通り見た後、海に入ってバナナボートで遊ぶ家族もいた。思い思いに過ごした後、再びジャカルタの港に向かう。
進行方向の左手を見ていると、埋め立てが進行中で、真新しい橋や、住宅地域の建設が進んでいる。


船は午後3時すぎに港に到着し、ツアーは終了。休みがたった1日しかなくても、簡単に行ける。お手ごろな料金で、普段は見ることのない海からのジャカルタを眺め、オランダ占領時代には活気があった島々を巡り、当時に想いを馳せるのも悪くないものである。
【参考】
鍋山さんが参加したのは
Rani Journey
1人9万5000ルピア
ほかにも多数のツアー会社がオープン・トリップを実施している。
