文・写真…鍋山俊雄
山のパプア民族、海のパプア民族、とは、今回の旅でお世話になった、アートギャラリーをティミカで営むオーナー夫人から聞いた言葉だ。山に住むパプア民族は交通手段が未発達な中、重い荷物を背負って山中を歩いて生活しており、背はあまり高くなく、下半身ががっしりしている。一方、海のパプア民族は漁業が生業であり、船をオールで漕ぐことから、背も高く、上半身ががっしりしている。確かに、ワメナで見たのは、男性も女性も大きな荷物を持ちながら、裸足でずんずん進んで行く力強い人たちだった(パプア州 ②山編)。
今回は、前回の「山のパプア」編に続いて「海のパプア」編。独特の木彫りを作っているティミカ・パンタイという海沿いの村を訪問した時の驚きの体験をつづってみる。
ジャカルタからの深夜便で、早朝、ティミカに到着。ティミカでギャラリーを営むご夫婦の出迎えを受け、市内を簡単に見学した後、ギャラリーに到着した。迎えてくれたのは、背の高さをはるかに超える木彫りの数々。大きな木1本の幹をくり抜いて制作したワニなど、今までに見たことのない物ばかり。
インドネシアにはあちこちに木や石の彫像の文化がある。スマトラの二アス島の木彫りも有名だが、もうすでに過去の遺物となりつつあり、現役で彫っている人は少ないようだ。一方で、カモロ・アートと呼ばれるこの木彫りは、今でも多くの村で作られており、彼らの日常生活に息づいている。今回は、その中でも質の高いカモロ・アートを生み出す村のひとつ、ティミカ・パンタイへ向かう。
ティミカ・パンタイへは、ティミカの郊外からスピードボートに乗り込み、約3時間。
船に乗っているのは、われわれジャカルタからの一行と、ギャラリーの経営者夫婦、料理を作ってくれるフローレス生まれの陽気なおばさん、屈強な地元の若者たち。それに、滞在日数分の食料、水、発電機、食器、寝具など、生活資材を丸ごと積んでいる。
時折、地元の人たちの船と出会うものの、川岸にはヤシやマングローブ林が延々と続き、本物のジャングルクルーズである。ワニとも何回か遭遇するが、エンジン音で逃げてしまうので、あとに残った水しぶきしか見られなかった。
夕方近くになり、ようやくティミカ・パンタイの村に到着した。桟橋にボートが着くと、子供たちが興味津々で寄って来る。
滞在する高床式のバンガローは最近ようやく完成したばかりで、実はわれわれが初めてのゲストだった。簡素な作りだが、入口には背の高いカモロ・アートの彫像があり、部屋の壁にも木彫りの壁掛けが飾られている。各部屋にあるのはマットレスと蚊帳のみで、電気は発電機をつける夜のみ点灯する。
大きな雨水を貯めるタンクがあり、炊事、シャワー、トイレはすべて、その水を使い、料理はテラスの調理場で、薪に加え、ティミカから持ち込んだカセットコンロで。気分はすっかりキャンピングである。
ティミカ・パンタイの村には、RT(隣組)が4つあり、すぐ隣のRTまでは桟橋を伝って歩いて行けるが、ほかの2つのRTまではボートで移動する。住民はほとんどが地元民だが、近隣のマルク州ケイ島から来た移民もおり、学校の教師などをしているそうだ。
到着後、早速、バンガローのあるRTの長の所にあいさつに行った。日本人を見るのは初めて、と言う。夕方にはボートを出してもらって河口まで行き、美しい夕陽を眺めた。その間に夕食の準備は出来ており、捕りたてのエビや魚といった海の幸をおかずに楽しむ。
気が付くと外に人が集まっているようで、何やら歌が聞こえる。はるばるジャカルタから来た客人のためにと、地元の人が集まって来て、歓迎の踊りと歌を聞かせてくれているらしい。歌といっても、詩の吟唱に近いようで、だれかが、「○○○と言えばさー」と、何かのテーマを持ち出すと、次々といろんな人が、それに言葉を繋げていく。しばらく順番に言葉が紡ぎ出され、一段落したところで、皆で一斉に締めの言葉を発して、歌が終わる。歌を聴きながら、おじさんやおばさんたちが腰をフリフリして踊っている。
電気はディーゼル発電機を動かさない限り使えないこの村では、テレビもラジオもないようだ。娯楽は木彫りと、この吟唱と踊りなのだろうか。食事が終わった後、しばらく興味深く鑑賞してから部屋に戻ったが、外ではまだずっと、延々と続いている。その吟唱を子守唄に、眠りについた。
翌日は、隣のRTの女性たちと一緒に、「マングローブ林の中でのカニや貝の採集の見学」ミニツアーだった。
海に近いティミカ・パンタイは、干潮の間は川の水位が下がり、マングローブ林の地面が水上に現れる。そこで、地中のカニや貝を採集する。彼女らは裸足で何の苦労もなく、泥の地面をひょいひょい歩いて行く。
ところが、自分の番になると、これが大変だ。泥の地面は思いのほか軟らかく、底なし沼のように足がズブズブと沈んでいく。カメラを持った私は、最後には両足とも膝まで沈んでしまい、助けを呼んで引き上げてもらう羽目となった。地元の女性たちはそんな私を尻目に、あちこちで獲物を発見し、手際よくカニやら貝やらを集めていく。
朽ち果てた木の幹から、皆が何やら白いミミズのような物を取り出しては食べている。これは地元の言葉で「タンベロ」と呼ばれる、木食い虫のような物。労働中にタンパク源として食べるらしい。おやつでも食べるように、皆で食べている。
バンガローに戻ってから、早速、先ほどのマングローブ林での獲物を料理してくれた。地元料理のSagu Bambu(竹筒の中にサゴヤシ粉、ココナッツ等を入れて焼く)のほか、捕って来た貝やカニを、おいしくいただいた。
翌日は、この周辺の民族に残る儀式を再現したセレモニーを行ってくれた。海洋民族である彼らは、住んでいる土地が耕作には適さない川沿いの泥地ということもあり、その場に定住するのではなく、一定の期間、その地に住んで、そこの収穫物をおおむね捕り尽くすと、別の地域に村ごと移住する。村の男たちが新しい土地を探し当て、そこで移住のための船を作り、家族たちを迎えに来て、新しい土地へとその船に乗って移住して行く。セレモニーは、男たちが船で家族を迎えにくるところの再現だ。
向こう岸に集まった男たちは、皆、裸の上半身に装飾を施した体である。木をくり抜いた、定員大人4人といった小さなボートに乗り、立って踊りながら、家族の待つ岸へと船を進めて行く。その木製の船は、儀式の後、私もちょっと乗せてもらったが、重心が傾くと一気にひっくり返りそうな小さな船で、立って踊ってオールで漕いで進むなど、到底できそうにない代物だ。
数十の船が横一列に並んで家族の待つ岸に進んで行く、壮大な眺め。われわれの乗ったボートも並走する。岸に到着すると、腰に葉をまとった女性たちが、感涙にむせびながら男たちを迎え、輪になって皆で踊る。テレビの「世界の秘境探検レポート」そのままである。この儀式はまだ実際に行われており、最近では5年ぐらい前にも行われたそうだ。
午後からは、今回の旅で一緒だったバンドン在住の坂口広之さんご夫妻がカモロ・アートの仕入れを行うということで、多くの彫像がわれわれのバンガローの前の道の両側に並び、カモロ・アートの即売会だ。さながら縁日のようなにぎわいである。
私も気に入った小さな壁掛けを購入し、作者と、がっちり握手して、一緒に写真を撮った。
その後、夕方に、隣のRTにある教会まで歩いて行ってみた。夕方はちょうど満潮のため、教会への数百メールの道は完全に冠水している。膝まで水に浸かりながら、ゆっくりと、川となった道を歩き、ようやく教会に到着した。大きなカモロ・アートを入口に配した教会は、まるで川に浮いているような印象だ。
ジャカルタに帰る日の朝、ティミカ・パンタイの人々に別れを告げて出発した。朝は干潮で川の水位が下がることから、河口から海を回ってティミカに戻る経路だ。ところが、あともう少しで海につながる本流に出るという所で、スクリューを回すには水位が足りなくなってしまった。船に乗っていた男性陣は、われわれも含めて皆、船外に出て、膝上まで水に浸かりながら、力を合わせて船を手で押し、ようやく本流に入ることができた。
その後は順調に海を渡って、ようやく直近の港に到着。そこでギャラリーの人々とは別れ、陸路で空港まで1時間。無事、昼過ぎの飛行機に乗り、マカッサル経由でジャカルタに戻った。
毎度のことだが、旅先と大都市ジャカルタのギャップに驚き、そしてさらに改めてインドネシアの多様性、そしてとりわけパプアの魅力を再認識した旅だった。
IMA CAMPLONG
Jl.Sindang Sirna No.21, Gegerkalong, Sukasari, Kota Bandung
(Facebook, Instagram @Ima Camplong)
バンドン在住の坂口広之さん夫妻が経営するアートギャラリー「Ima Camplong」では、今回紹介したカモロ・アートのほか、イカットやバティックなどを扱っている。カモロ・アートにご興味がある方は、是非、行かれることをお薦めする。
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