Nanti Kita Cerita Tentang Hari Ini
父母と20代の3兄妹による家族の愛がテーマ。20年余りを共に過ごした歴史の中で、それぞれが心の中に「痛み」を抱え、相手を思うがゆえに確執が生まれ、関係がぎこちなくなっていく。心の動きや感情が細やかに描かれ、せりふが端切れの良い「詩」のように印象に残る。
文と写真・横山裕一
正月第1弾から、見ごたえのある、心温まる作品が公開された。年始休みの時期だったとはいえ、2020年1月2日の公開から6日間で85万人を超える観客を動員した話題作となっている。
父母と20代の三兄妹による家族の愛がテーマの作品で、それぞれの心の動き、感情が細やかに描かれている。さらにそれぞれのセリフが劇中自然な形で、端切れの良い「詩」のように印象に残る。原作本(同名タイトル、マルシェラ FP著)が物語でありながら詩集のような形態をとっているのも影響しているかもしれない。
原作本(上段の濃紺の表紙)と同映画作品の特集本(下段の写真表紙)
一般的にインドネシア人の家族は、日本と比べても家族の和をより大切にし、家族思いのように見える。子供が大きくなっても日曜日に家族で出かけたり、夫婦間だけでなく、親は子供に対しても「サヤン(愛しい人)」と呼びかける。
この物語の家族も各人がお互いを大切に思っているが、20年余り共に過ごした家族の歴史の中で、それぞれがそれぞれの心の中に「痛み」を抱え、相手を想うがゆえに確執が生まれ、関係がぎこちなくなっていく。
かつて妻の死産を経験したため子供を失う事を極度に恐れ、心配性になる父親。父親から妹達を守るよう子供の頃から期待されながら、父親の満足を満たせず忸怩たる思いを募らせる長男アンカサ。かつて有望な水泳選手だったが親の期待に応えらず挫折の過去を引きずる長女アウロラ。父親の庇護から自由になれず悩む末娘アワン。皆の気持ちが理解できるがゆえに何も言えない母親。
喪失の記憶、失敗、挫折、失望などの呪縛に悩む彼らが、家族としてお互いを理解し、乗り越えることができるのか。各登場人物が「トラウマ」となった過去の出来事が随所に盛り込まれ、それぞれの気持ちが痛いほど分かるため、観客がより作品にのめり込んでいく作りになっている。
この作品の魅力のひとつが、前述のように登場人物が口にする「言葉」だ。
自分を助けることができるのは自分自身でしかない、頑張らなくてはならないのは自分自身なんだ
末娘アワン
君が僕に幸せの意味を教えてくれたんだ、君がいるから僕は頑張れるんだ
父親
日本語に直訳すると味気ないが、それぞれが日本の詩や漢詩、ラップのように語尾が韻を踏み、聞いていて耳に心地よい言葉になっている。
監督は「東インドネシアの光(Cahaya dari Timur/2013年)」や「コーヒーの哲学(Filosofi Kopi/2015年)」、「プラハからの手紙(Surat dari Puraha/2016年)」などを手がけた若手の実力派、アンガ・ドゥイマス・サソンコ監督。
同監督は「愛情や感情を態度に出したり、口で表現するには限界があるが、映画ではそれを補って表現することができる。この作品では愛情がいかに大きなものであるかを伝えたかった」と話す通り、登場人物の感情の機微がスクリーンを通して丹念に表現されている。大きな見どころのひとつだ。
長男役の俳優リオ・デワントは、前述の同監督作品「コーヒーの哲学」でも主役の一人を演じている。そのためか、「コーヒーの哲学」でのもう一人の主役だった人気俳優チコ・ジェリコもちょい役で出演していて、思わずにんまりとしてしまう。この他、「ザ・レイド2(The Raid 2/2014年公開)」などのオカ・アンタラが若き父親役を演じている。
話は逸れるが、映画「コーヒーの哲学」も「言葉」にこだわった映画だった。物語内のカフェで一杯のコーヒーを出す際、客へ告げる一言「哲学」が客に受けるという設定だ。例えば、「コーヒーというものがある限り、人は自分自身を見出すことができる」などといった内容だ。
この映画、原作本のヒットが引き金となって、各地のカフェの持ち帰り用のカップや袋などに、同様の「気の利いた」言葉が書かれるようになり、いまだに流行となっている。インドネシア人の「詩」「気の利いた言葉」好き文化が反映されたものだろう。フェイスブックなどSNSにも、写真でなく言葉だけで自分の気持ちなどを書いた投稿が多いのもその表れかもしれない。
さらに余談をいうと、「リトル東京」と呼ばれるブロックMのムラワイ地区に映画「コーヒーの哲学」の撮影用に作った店が、その後もカフェ(Filosofi Kopi)としてオープンしている。映画人気と美味しいコーヒーが飲めることもあり、連日インドネシア人の若者で賑わっている。近年、ブロックMが日本語看板を中心にインスタグラムのスポットになったのは、同店が呼び水となったとさえ思える。
今作品に戻ると、ここでも主人公の通勤途中にMRT車内やブロックM駅高架下がロケ地として登場する。一方で、コタの中華街や屋台街なども含め、ジャカルタの新旧含めた風景も楽しめる。中でもMRTはジャカルタの都会アイテムとしていまや必須になってきているようだ。2019年公開の「ベバス(Bebas)」で映画に初登場したMRTは今後も様々な映画の舞台になりそうで楽しみだ。
「家族愛」という日本人としても共通のテーマだけに少しでも多くの人に観ていただきたいのだが、残念なことに同作品は英語字幕はない。これは聴覚障害者にも鑑賞できるよう、インドネシア語字幕が音の説明などとともに施されているためだ。良い配慮だ。筆者が過去に観た限りでは公開映画では初めての試みかとも思う。
逆にインドネシア語がある程度聞き取れる方であれば、心強い字幕ともなる。是非とも新年に心の琴線に触れる、グッとくるものを感じられる数少ないこの作品を楽しんでもらいたい。筆者ももう一度観て、改めて映画内の素敵な言葉を噛み締めたいと思っている。