最近職を失い無職になった。
今年のジョグジャカルタはこの時期でもまだ雨が降っている。じっとりと蒸し暑い。時間はあるがテレビはあまり見ない。刺激を煽るニュースばかりだ。だから自然とラジオをつける。でもそのラジオもつい先日壊れてしまった。もう10年以上使っているもので手回しで発電しバッテリーに蓄電もできる災害時対応のものである。普段は乾電池で聴くが新しいのに入れかえても起動しなくなってしまった。
仕方がないのでタブレットのラジオアプリでストリーミングしている。Rという局をよく聴いている。インドネシア語でNostalgiaといって70〜80年代を中心に曲がかかる。リアルタイムでは接していない曲だが聴けばなぜか落ち着く。これも最近のことだが有名な歌手のDidi Kempotが亡くなった。R局ではよくDidiの曲がかかっていたが今では市内のモールやワルンでも大音量でかかっている。街全体で追悼しているかのようだ。曲はCampursariというジャンル。ジャワ語で歌われる。意味がさっぱりわからない。だからずっとかけておいても思考の邪魔にならず……いわばホワイトノイズになっている。
そんな中ふと小学校の友達Z君を思い出した。私の田舎は東北の港町で、鉱石の粉塵舞う工場区域の脇には魚市場があった。その頃は今と時代が違ってトラックの荷台からこぼれ落ちた魚があちこちで干からびつつ転がりハエが群がる環境だった。そんな魚を見つけてはZ君と蹴飛ばしながら下校した。途中Z君の家に寄ると彼は「今日はウラジオストックのYY局からのが届いたよ」と紙片を見せてくれた。それは通称ベリカードと言われ受信を記念し局から送られるもので彼は集めるのが趣味だった。私の方はウラジオ〜はソ連にある街で「ああ、あの不機嫌な顔をした貨物船の人たちのところか」とあまりわくわくした気分にはならなかった。その後Z君と同じ中学校に上がった。彼は何かやたらと荒々しくなり変わった格好の学生服を着るようになった。続く高校も多分に漏れず校内は荒れに荒れた。いじめをし、いじめられもした。
早く田舎を出たくて東京の美術大学に進学した。作品の制作・レポートなど作業は深夜におよびBという局をよく聴くようになった。手を動かしながら「本当かよ〜」と独り言でツッコミを入れた。電波を通して多くの人と話しているような不思議な気分だった。
いくつかの職を経て縁あってバリ島に赴任した。2度目のテロがあって仕事は日増しに難しくなっていた。島内の日イの人々を繋ごうと関係者にもご尽力いただいてローカルのラジオ局でひと番組持たせてもらったことがあった。自分も一緒に癒された。
母親が病気になったこともあり仕事をやめ日本に戻った。実家に帰ってすぐにこの災害時対応のラジオを買い求めた。今となってもなぜかよくわからない。母は亡くなりしばらく経った翌年3月、東日本の震災が起きた。暗くなって交通規制が一部で解除されたのでクラクションを鳴らしながら車で家に戻るとタンスなどがひっくり返った居間ではちょうど夕食時だった。傍らではあのラジオが鳴っている。
「陸前高田市……壊滅。山田町……壊滅。XX町の海岸には多数の遺体が打ち上げられているようで確認作業が……」
聴きながら石油ストーブで調理したカレーをもらって黙々と食べた。真っ暗で動けないのでとにかく寝ることにする。ろうそくも節約しないといけない。電気が復旧するまでそのラジオが頼りだった。手回しで発電しても使ったがコンビニで行列して乾電池を集めた。余震が続き眠れないのでつけっ放しにしていた。ある時アナウンサー氏が「深夜放送は人が焚き火に集まって手をかざして暖まりながら持ち寄った話をする……そんな場所にしたい」と言い今でも印象に残っている。局にもいろいろな声が届いていたのだろう。
落ち着いた後再びインドネシアに戻りジャカルタで仕事をした。あの災害時対応ラジオも一緒でアパートではE局をつけっ放しにしていた。外ではタクシーをよく使ったが乗ると運ちゃんに「Eにして」と言って車載のラジオをつけてもらった。とはいっても大体どのタクシーでもEが流れていた。街中の細かい情報まで拾って中継していた。「〇〇でデモ」「△△で若者のグループ同士の騒乱になっていて……」。聴いた後は運ちゃんと「高速に乗ろうか?」と相談が始まるのだった。
その後ジョグジャカルタに移る機会を得たがあの災害時対応ラジオもついてきた。壊れてしまった今、日本に戻る機会があれば修理したいのだが国内線もほとんど動いていないしパスポートはKITAPの延長中でイミグレにありまだ戻ってきていない。
時間もあるし気を取り直そうとYouTubeを始めた。小さいながらもいちメディアを打ち立てたわけだが観光地はすべて閉まっていてネタ探しに苦労している。何もインプットできないまま手に持ったタブレットがスリープに入り真っ黒な画面に自分の顔が映る。Z君の顔をまた思い出す。ピカッとした光でハッとする。ラジオは鳴っていないので雷鳴がよく聞こえる。
高野洋一(たかの・よういち)
福島県生まれ。ジョグジャカルタ在住。Youtube〜インドネシア現地からいろいろチャンネル〜運営。日本の友人には「今、日本で捕まったら住所不定 自称ユーチューバーだね」と言われています。