情報の洪水。車やバイクの大渋滞。際限なくタテとヨコに伸び続ける大都会ジャカルタに暮らしていると、なんだか疲労を覚え、「文明に毒されているかも……」と思うのだ。

ジャカルタから車で約5時間、徒歩で約1時間。西ジャワ山中に住む「バドゥイ」は「文明を拒否した生活を送っている」とされる。しかし、その表現はちょっと誤解を与えるかもしれない。「外バドゥイ」「内バドゥイ」のうち、外バドゥイは急速に現代化が進んでおり、実はそれほど「秘境」ではない。しかし、電気も通っていない、携帯の電波もほとんど入らない山中で、独自の慣習を守った暮らしをしていることは事実だ。首都ジャカルタのすぐ近くにそんな村があることは、ちょっと驚いてもいいことなのかもしれない。

意外にあっさりと行けてしまうし、反文明的な「秘境」探検を期待して行くとがっかりするかもしれないが、「電気も電波もない村へ、リトリートに行く」と考えたらどうだろう? インターネットから解放された時間を過ごしに行く、と考えたら? いまどき、そんな場所はめったにない。

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 ジャカルタからチボレゲール(Ciboleger)バスターミナルまでは車で行ける。しかし、上の地図を見ていただけばわかる通り、バドゥイの村は山のど真ん中。GPSという最新技術がありながらも道に迷い、しょっちゅう車を停めては人に聞くという原始的な方法で、なんとか、バスターミナルにたどり着いた。午前10時にジャカルタを出発し、午後3時到着の予定だったのが、到着したのはなんと、午後5時!

 ターミナルには、手を差し伸べる内バドゥイの家族の像が建ち、われわれを「インターネットのない世界へおいで」と差し招いている(ようだ)。ターミナルの周辺にはコーヒーや軽食を売るワルン、バドゥイの手織り布やはちみつを売る土産物屋も並んでいる。

dscf4210 バドゥイの代表を務めるサルピンさん(44)の息子のムル君(21)が迎えに来てくれていた。車を置いて、そこから歩く。距離は約1キロ、「バドゥイなら30分もあれば行ける」とムル君に聞き、カメラ担当のPは「バドゥイなら20分、日本人なら30分、インドネシア人なら1時間」と見積もる。

 ごろごろした岩だらけの道で、上ったり下ったり。雨に濡れた道は滑りやすい。Pも、ペン担当のEも、4、5回は休憩しただろうか。動画担当のTが時々、「この急斜面の角度は約45°」などと冷静に分析することが、2人の気力を大きくそいでいるようだった。さらに、遅く着きすぎたので、道はすぐに真っ暗になった。当然、照明も何もなく、スマホやパワーバンクの「懐中電灯」頼りだ。道ですれ違ったバドゥイの人たちは誰も照明を持っておらず、真っ暗な夜道を平気で歩いていた。われわれ取材チームはと言えば、滑ったり転んだり、惨憺たる状況で、ようやく、とうちゃく〜!(教訓:暗くなる前に村に入るようにしましょう)

 ここは外バドゥイのバリンビン村(Kampung Balingbing)。暗い中にも、高床式の家が整然と並んでいるのが見える。屋根はどれも北と南向きで、どの家も同じに見える。しかし、番地や番号などは何もない。下に石を敷いて、木と竹で建てられており、屋根はサゴヤシの葉で葺いてある。

 サルピンさんの家に転がり込んで、すぐにマンディ(水浴び)。バドゥイの村には「ホテル」「ロスメン」のようなものはない。泊まる場合は「ホームステイ」になる。こうして、村の暮らしを体験できるのが面白い。

dscf3865 サルピンさんの家には、客間1つ、自分たちの部屋(寝室)2つ、いろりのある台所があり、客間をわれわれのために空けてくれていた。家具はほとんど何もなく、がらんとしている。10人は寝られそうな広さで、マットレスと枕だけが置いてあった。夜は23℃ぐらいまで冷え込むので、寝袋か毛布を持って行った方がいいだろう。

 サルピンさん、妻のミスナさん(39)、ムル君の弟のマルノ君(13)は、太陽発電のランプを頼りに「kacang hiris」という豆をさやから取り出す作業中で、夕食にもこの豆のスープを出してくれた。味はサユール・アッサムと似ているが、具は豆だけだ。

dscf3690 ジャカルタから持って来た「お土産」を手渡す。イカン・アシン(塩魚)、チュミ・アシン(塩漬けイカ)、インスタント麺、コーヒーの粉。バドゥイの人々は普段、畑で採れた作物と米を食べている。この「お土産」は、泊めてくれる家の人たちと、滞在中のわれわれの食事になる。冷蔵庫がないので、長期保存できる塩魚などを持参するのが一般的だ。

 この日は曇っていて、星も見えない。星が見えたら、さぞ、きれいだろう。真っ暗な中、川の流れる音、虫の声しかしない。

 翌朝は、床下を歩き回る鶏の「コッ、コッ」という声、機を織る「コン、カン、コン、カン」という音で目が覚めた。朝のコーヒーの香りが、湿った土のにおいと混じり合う。

dscf4307 バドゥイの人々の仕事は、男性は薪取りや畑仕事、女性は機織り。どの家でも、軒先をのぞくと、朝早くから暗くなるまで、糸を紡いだり機を動かしている。

 サルピンさん、ムル君、マルノ君は、収穫したカカオを足で踏んで広げ、天日干しにしていた。発酵したカカオのすえたような香りが漂う。カカオ、コショウ、ニクズク、丁子などはランカスビトゥンにあるパサール(市場)へ持って行って販売するが、米は売ってはいけないそうだ。

dscf4341dscf4329 ムル君を案内役に、村の周りをぶらぶらすることにした。チウジュン川(Sungai Ciujung)にかかった竹の橋を渡るとガジェボ村(Kampung Gajeboh)に着く。結構大きく、観光客が泊まることも多い村だ。村の様子はわれわれの泊まるバリンビン村とさほど変わらない。

 川の近くに米倉が並んで建っていた。米倉は、わざと、家から離してある。村が火事になっても、米倉が無事であれば、食べて(生きて)いけるからだ。

 川の先の道は2つに分かれていて、そのうちの1つは内バドゥイの村へと続く。「内バドゥイの村へ続く」と言っても、内バドゥイの村へたどり着くまでには、まだいくつも外バドゥイの村を越えなければならない。

 内バドゥイの村にはインドネシア人の観光客が入ることは許されているのだが(ただし、写真撮影は禁止)、残念なことに、取材に行った時(4月)は、「断食」期間(Kawalu、毎年2〜4月)に当たっていた。この間は、内バドゥイの村に入ることはいっさい禁じられるし、内バドゥイの人々もバドゥイの村の外へ出かけることはしない。

 

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dscf3760 バドゥイの「決まり」は、どこまで厳格に守られているのか、実際のところはよくわからない。例えば、外バドゥイは「黒い上衣を着ること」となっているが、カラフルな服を着ている人もいたし、子供はサッカーチームのシャツ、アニメのキャラクター柄を着ていたりした。外バドゥイは太陽発電の電気を使い、携帯電話はほとんどの人が持っている(電波はほとんど届かないのだが)。携帯電話はパワーバンクで充電し、バスターミナルまでパワーバンクを充電に行ったりする。

 バドゥイの決まり事は「慣習」によって定められているのだが、それは日々の生活の変化にさらされているし、また、柔軟に変わっていっている、ともいえる。

 だからこそ、内バドゥイの人々は頑なに「外の世界」との接触を拒むのだろう。接触すると、影響を受けることは避けられないからだ。内バドゥイと外バドゥイは着ている服の色から白バドゥイ、黒バドゥイともいわれ、内バドゥイの白は「外の世界によって汚されていない」ことを示す。

 「バドゥイ」の実像は、内バドゥイを見ないことにはわからないのかもしれない。これは、次回の課題にしよう。

 さて、今回は内バドゥイの村へは行けないので、川を歩いて渡るという、われわれにとっては大冒険をしたり、「ココサン」という酸っぱい実を取ってもらって食べたりしながら、夕立が来る前に、サルピンさんの家へ帰って来た。アクティブに活動したい人は、こんな風に村の周りを散歩(トレッキング)できる。休みたい人は、泊まっている家でひたすらゴロゴロ、でも良い。

dscf4406 夕立が上がった後、村の中を散歩していると、「肉と骨、肉と骨」と呼び声を上げている行商人がいた。何のことか?と見てみると、バケツの中には魚がぎっしり。「肉と骨が一緒になっているから、魚だよ」というとぼけた言葉に笑ってしまう。魚は塩と香辛料で漬けてあり、冷蔵庫なしで3〜4日持つ。週2回、バドゥイの村まで行商に来ていて、面白い人なので、バドゥイの人からも好かれている。ミスナさんによると、雷に打たれてから言動がおかしくなり、それから「ルサックさん」(Mang Rusak=壊れたおじさん)と呼ばれているそうだ。われわれも、自分たちとサルピンさん一家の夕食用に、タイ(Kakap)1尾を3万ルピアで買い、いろりの火で焼いてもらった。

 翌朝。外バドゥイのカドゥ・クトゥッグ村(Kampung Kadu Ketug)で、約10年に1度の祭りがあると聞いた。サルピンさんによると、この祭りを見た観光客はまだいないと言う。

 米を搗くために中をくり抜いた舟形の細長い木を「ルスン(lesung)」と言う。各村に1つずつあり、誰でも自由に使うことができる。古いルスンが壊れたので、新しいルスンに替える儀式だと言う。ルスンはいつ壊れるか予測不可能だし、偶然、出会うのはなかなか難しい祭りだ。

 祭りには、カドゥ・クトゥッグ村の住民のほか、バドゥイの各村からの代表者が参加する。断食中の内バドゥイの人の姿もあった。

dscf4717 ルスンの長さは約10メートルに及ぶ。これを、山中での儀式の後(外部の者は見学禁止)、村まで引っ張り上げる。ルスンの先には頑丈な綱が結び付けられており、これを皆で綱引きのようにして引くのだ。「Tarik, tarik(引っ張れ、引っ張れ)」と叫びながら、綱を引く人、ルスンの下に木や竹の棒を差し入れて転がりやすくする人、引っ張り上げる様子を見ようとする人々で、ルスンの周りには人だかりが出来る。ルスンはこうして山中の道なき道を行き、ずるずると引っ張り上げられる。

 バドゥイの人々にとって、ルスンとは命の象徴だ。ルスンがなかったら食べること、生きていくことはできない。

 ルスンは地面から持ち上げてはいけない(なので、ずるずると引っ張って、上げる)。バドゥイにとって大地は神聖なものだ。「履き物を履かない」という決まりの意味もここにあるのだろう。大地から離れず、大地に根差して生きるという意思。大地は自然の一部であり、自然がなかったら、人は生きていけないのだ。

 ルスンを運ぶ人々は、傷だらけになりながらも、顔は充足感に輝いていた。

dscf4866 バドゥイの村は「秘境」ではない。まっとうな人の暮らしそのものだ。蜃気楼のような都会ジャカルタこそが「秘境」と言えるのかもしれないな、と考える。

+62のバドゥイ・ツアー(1泊2日)
+62のバドゥイ・ツアー(日帰り)

【動画】ルスンを交換するバドゥイの祭り