文と写真・鍋山俊雄

これから5回に分けて、魅惑の地パプアについて書いていく。
バリやジョグジャカルタといった定番の観光地から一歩を踏み出して、インドネシア各地に足を延ばしていく中で、気になってくるのがパプア州である。面積世界第2位の大きな島の形と関係なく真ん中でスパッと国境線が引かれている、インドネシアの東端。多様な文化と民族を持つ島嶼国家インドネシアの中でも、ジャカルタからの距離や、時差が2時間あることから、パプアはとりわけ「異国感」が漂う。旅をしたインドネシア全34州の中でも特に印象深いのが、このパプア(パプア州、西パプア州)だ。
私は4度ほどパプアを訪れている。初めて行った時は西パプアのソロンに入り、ジャヤプラ—ワメナ—メラウケと巡ったが、今回は「国境編」として、ジャヤプラとメラウケでまとめてみた。
空から見たパプアの最初の印象は、「熱帯雨林の大きな大地」だった。ジャワ島やスラウェシ島なら水田が見え、カリマンタンやスマトラ島ならパームヤシの整然としたプランテーションが見えることが多いが、パプアは山と熱帯雨林が眼下に広がる。
インドネシアの地図で右上端にあるジャヤプラはパプア州の州都だ。オランダ時代に「ホーランディア」と言われ、太平洋戦争時には激戦地となった。この時は翌日のワメナ入りを控え、乗り継ぎでジャヤプラに1泊した(ワメナの話は次回)。
正確に言うとジャヤプラに空港はなく、そこから車で1時間ほど離れたセンタニにある。せっかくなので近隣の観光地へ行こうと空港から寄り道したのが、空港のすぐ近くにあるセンタニ湖の水上家屋だ。
きれいな山肌に囲まれた静かな湖岸に寄り添うように水上家屋が並んでいる。舟で、湖の中の小さな島に上陸した。お土産売りのおばさんが、木の皮に描いた絵を売りに来た。島の子供たちが物珍しそうに寄って来る。皆、褐色の肌で髪の毛はチリチリで、くりっとした目が印象的である。小高い丘には教会があり、その丘から眺める風景は素晴らしい。



湖畔のレストランで昼食を取った後、ジャヤプラの街に向かった。ジャヤプラは山に囲まれて海に面した街で、山の頂にある「JAYAPURA CITY」の大きな看板が目に入る。




ホテルの近くに伝統市場があると聞いて行ってみた。野菜や魚介類を取り扱っているのはほかのインドネシアの街の市場と同じだが、ひとつ、大きく違うことがあった。それは「雰囲気」である。
今までインドネシア各地を巡っていて、自分が外国人であると感じさせられることは少なくない。それでも、外国人の私に対して話しかけてきたり、笑いかけたりと、和やかな雰囲気となる。しかし、ここは明らかに違っていた。皆の口数は少なく、ただじっと見ている視線を感じる。学生時代に、黒人の多いエリアのニューヨークを歩いた時の気分だ。一言で言えば、緊張するのである。


市場を出て夕暮れの街中を歩いたが、やはり、ジャワの街並みとは雰囲気が違う。パプアにも、ジャワ、スラウェシなど、他島からの移民はいるのだが、街中を歩いていると、あまりそれは感じない。ショッピングモールに行くとジルバブを被った女性が増え、なぜかホッとした気分になった。


空港から乗ったタクシーの運転手にも、「ジャヤプラの一部の地域は、夜は酔っ払いが増え、治安が悪くなるので、外国人はあまり夜間は出歩かない方がいい」と言われた。当然と言えば当然だが、ジャワ島でも、カリマンタンやスマトラ島地域でも、ムスリムが多いため、酔っ払いの話はほとんど聞かない。スラウェシ、ヌサトゥンガラ、マルク、パプアと、キリスト教徒が増える地域になると、街中のスーパーでもビールなどのアルコールの取り扱いが増え、酔っ払いに関する情報も増えてくる気もする(断っておくが、それがすなわち「治安が悪い」という意味ではない)。
ショッピングモールの裏手には、山の斜面に民家が群集している。生活感を感じるために歩き回りたかったが、もう夕暮れだったので、運転手の忠告に従い、ホテルに戻った。
ジャヤプラはパプア北端の国境の都市だが、ジャヤプラから2時間ほど車で東に行くと、パプアニューギニアとの国境の街があり、そこにはインドネシア、パプアニューギニア双方の買い物客で賑わう市場があるそうである。その時は時間がなかったので行かなかったが、「端っこ好き」としては気になる所である。

地図上でパプア南端の国境がメラウケである。メラウケの名は、昔、この地に駐留したオランダ軍が地元のマリンド族にこの地の名前を訪ねたところ、彼らはそこにある大きなマロ川の名前を答えたそうで、その返答の言葉を元にメラウケとなったらしい。
メラウケに行く目的はただ一つと言って良い。インドネシアの国土を表す言葉、「サバンからメラウケまで」の「メラウケ」。両方の場所に双子の石碑があり、すでにサバン(アチェ州)にある西端の石碑は見ているので、東端の石碑を見に行くことが目的だ。
南部の国境地帯には広大なワスル国立公園がある。地理的に北部オーストラリアと似ているため、インドネシアでは珍しい、大きな蟻塚やワラビーを見ることができる。野鳥ウォッチングでも有名な場所だそうだ。
メラウケは、これと言って目立つ物もない街並みであった。ホテル周辺から港の方まで歩いたが、大きな教会が一定区画ごとに目につく以外は、これといって面白い物はない。

街の一角に、スハルト大統領時代に建てられた「パプア統合記念碑」があった。ジャヤプラの街中でも似た物を見かけた。独立論の絶えないパプアであるが、地元の人たちはどのような思いでこれを見ているのだろうか。
メラウケはワニ皮製品が特産品で、ホテルではワニ皮のゴルフバッグを売っていた。ホテルの近所にもワニ皮製品のお土産屋があり、記念に財布を購入した。

翌日はメラウケから一直線に、パプアの国境の街ソタに向かって車を走らせた。ワスル国立公園に入ってからは2時間以上も真っ直ぐな道を結構なペースで走って、ようやく、小さな村ソタに到着。そこから、パプアニューギニアの国境を示す看板があるエリアをしばらく散策した。
国境と言っても壁があるわけではなく、看板の向こうには熱帯雨林が広がっている。そこから約8キロ行けば、ここから最も近いパプアニューギニアの村に着くそうだ。国境があると言っても、地元の人は簡単な手続きだけで国境を行き来できるとのことである。国境を挟んで、同じ部族で親戚関係のある家族も多いらしい。



ソタの街角でついに双子の石碑を発見し、広大なインドネシアの東西を訪問した踏破感に浸る(と言っても横断したわけではないが)。
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車が通る舗装道路からは、なかなか野生動物は見られないが、非常に目につくのが蟻塚である。高い物になると3〜5メートルになり、森の中や、道路沿いのあちこちで、古代遺跡のようにそびえ立っている。同じような蟻塚はオーストラリアやアフリカでも見られるそうだ。また、この蟻の巣は地元の薬の材料になるらしい。
ワラビーなどの野生動物は道路近くには現れないので、運転手が公園内のRawa Biruという小さな村に連れて行ってくれた。公園内の湿原に面した、運転手の知り合いの家では、ワニやワラビーも庭先で飼っていた。


メラウケの街に戻り、海岸や大モスクを一通り、案内してもらった。メラウケの海は褐色で、波も荒めだ。この海の向こうはオーストラリアである。改めて地図で見ると、ジャワ島もジャカルタも遥か遠くだ。むしろ、お隣のパプアニューギニアや北部オーストラリアがすぐ近くにある。西端のサバンで見たインドネシア地図と随分、風景が違う。

翌日、メラウケからジャカルタまで直行便で帰った。直行便なので、直接ジャカルタに向かうのかと思っていたら、実はジャヤプラ経由であり、ジャカルタまで直角三角形の二辺をなぞるようなコースとなり、実質的には8時間近くも機中にいた。改めてインドネシアの広さを実感した旅だった。
