文・写真…鍋山俊雄
スマトラ島の地図を眺めると、島の西側に、防波堤のように大小の島が並んでいる。これらの島々はその位置に合わせてスマトラ島の州とセットになっているが、独自の文化を発展させている島が多い。北スマトラ州では二アス島がそれに当たり、興味深い伝統文化や慣習を垣間見ることができる。
アチェなどに甚大な被害を与えた2004年スマトラ島沖地震が起きた直後の2005年3月に、二アス島近くを震源とする大地震が発生した。貴重な建造物への影響は小さくなかったが、現在はアチェ同様、復興が進んでいるようだ。
二アス島には、スマトラ島メダン経由で、ウイングズ航空(Wings Air)やガルーダ航空が飛んでいるので、アクセスはそれほど難しくない。
島は南北に大きく、面積は4700平方キロほど。日本の和歌山県とほぼ同じ大きさで、東京都、神奈川県、埼玉県よりも大きい。
これほどの広さの島の中で、空港は島中部・東岸にあるグヌンシトリ1カ所。だが、見所は島内各地に広がっている。そうなると島内での移動手段の確保がカギになるが、レンタカーに関する情報は少なく、また、離島では値段も高くなるので、「オープントリップ」を探すことにした。
「オープントリップ」という仕組みは、旅行中に出会ったインドネシア人旅行者に教えてもらった。「X月X日からX日間」という旅程があり、現地空港に集合&解散、参加者がY名以上揃えば催行する、という形で旅行エージェントが募集する。自動車や船貸し切りの費用を人数割りし、旅行費用が安く抑えられるという仕組みだ。インドネシア各地の比較的有名な旅行地では多くのオープントリップがあり、1人でも参加できる。当日、各地から集まった参加者と行動を共にすることになる。
基本的にはインドネシア国内向けのツアーなので、インドネシア語のみとなる。旅行好きのインドネシア人と知り合いになる良い機会ともなり、私はこのニアス島以外にも、数回、オープントリップで旅行している。
スマトラ北部を中心にオープントリップを手がけているエージェントが行っている3日間の二アス島トリップを見つけて、参加を申し込んだ(ちなみに値段は、ガイド、車、食事、宿泊費込みで225万ルピアだった。ニアス島への往復航空運賃は含まない)。
早朝にジャカルタを出発する便でメダンに入り、二アス行きのウイングズ航空に乗り換えて、午前10時半ごろ、二アス島に着陸した。
メダン離陸後、天気が良ければ、眼下にトバ湖が見えるはずだったが、曇りのため、あいにく見ることはできなかった。雲が切れたのは二アス島に近付いてからだ。思った通り、眼下の二アス島はかなり大きい。
オープントリップの参加者は私を入れて6人。運転手とガイドの加わった計8人で、3列シートのアバンザ1台に乗り込む。費用が安い分、ぎゅうぎゅう詰めの地元のバス並の、なかなかローカル気分満載の出発である。
初日は島の北部を中心に見学する。まずは、二アス島の文化を展示している「プサカ・ニアス(Pusaka Nias)博物館」を訪れた。二アス島の伝統文化である木彫りや伝統家屋、島の歴史などについての詳細な展示があり、印象深く、面白かった。残念なのは写真撮影が禁止な上、博物館のパンフレットが充実していないので、その場で説明を読み、係員の説明を聞いて記憶するしかない。
博物館ガイドから聞いた話では、二アス島の伝統的な木彫りは、地震や津波による消失や、島外への売却などのため、ほとんどなくなってしまったという。
二アス島の伝統家屋は、北部と南部とでは形が異なっている。北部では丸味を帯びた帽子のような形をした独立した建物だが、南部では三角形の家屋が軒先を揃えて連なっている。
昔は風葬の習慣があり、山中の木の枝に吊り下げた竹製ブランコに遺体を座らせるということが行われていた。博物館に、そのブランコが展示されていた(博物館の展示品は、ウェブサイトに一部掲載がある。https://museum-nias.org/)。
次に訪れたのは島の北部のトゥレロト海岸(Pantai Indah Tureloto)だ。サーフィンで有名な南部の海岸と異なり、穏やかな、のんびりとした海岸だ。ごつごつとした岩が目に付き、よく見ると、サンゴ礁の残骸である。2005年の二アス地震の後に海底が隆起し、このような風景になったとのことだ。
その後、名前の通りに「真っ赤」な夕日が楽しめるメラ海岸(Pantai Merah、「merah」はインドネシア語で「赤」の意味)で夕日を眺めてから、宿に向かった。
翌日は一路、島南部を目指す。海岸沿いの道路をずっと南下して行く。通り過ぎる村々では、時々、伝統建築様式の家屋を見ることができる。屋根が藁葺きのほかにトタン屋根の物もあり、時代が進むにつれて伝統家屋が少しずつ失われていくのを感じる。
南部には、観光遺産として政府が保護している伝統村がいくつかあり、その中でも大きなバウマタルオ(Bawomataluo)を訪れた。
入口から石段を登り切った小高い丘の上に村がある。登り切った階段の上から振り返ると、教会と丘陵地帯、その向こうに広がる海を眼下に望める。素晴らしい立地だ。二アス島は過去に何度か地震や津波に見舞われているが、津波もここまでは届かなかったようだ。この伝統村は18世紀ごろまで、その起源をさかのぼれるという。
石畳の大通りの両側に、同じ形をした伝統家屋が軒先を連ねている。この村には7000人近くが住んでいる。
通りの中央辺りには、古くからこの村を統治した王宮があり、中の一部を見学できる。薄暗い階段を登って行くと、地上から3階ぐらいの高さに、大きな広間がある。王族の遺品が展示されており、窓からは村が一望できる。
この王宮の前に、私の背丈より高い石壁(約2.1メートル)がぽつんとあり、その前には小さな岩がある。これが、古くからこの島に伝わる「石跳び」の石だ。
昔、村々は石壁に囲まれており、村を急襲する際には石壁を飛び越えて侵入する必要があった。それが石跳びのルーツのようだ。成人男性は石壁を飛び越えられないといけないしきたりで、これができないと結婚も許されなかった。
ツアーには、この石跳び見学も含まれている。民族衣装に身を包んだ青年が石跳びを見せてくれた。いくら踏み台になる石があると言っても、助走路は石畳で、走る時は裸足である。15〜20メートル余りだろうか、小走りで走ってきて、見事に石を跳び越え、軽やかに着地した。
村で石を跳べるのは今現在では20人に満たず、大体、10代半ばから20代半ばぐらいまでらしい。
ニアス島にはお土産屋がなかなかない中、ここでは村の一角に売店があり、いくつか二アスの木彫りを売っていた。小さな木彫りをお土産に買うことができた。
この日は島南端のソラケ海岸(Pantai Sorake)近辺にある真新しいバンガローに泊まった。経営者はオーストラリア人で、この島に住み着いて30年になるそうだ。
夕方、歩いてすぐの海岸に向かうと、入江から、背丈を超える大波が絶え間なく押し寄せている。数十人のサーファーがサーフィンを楽しんでいた。
インドネシアでは、バリ島クタなどがサーフィンの名所として知られているが、実は、ここ二アス島と東ヌサトゥンガラ州のロテ島が、サーファーに有名なスポットだそうだ。
確かに、このソラケ海岸では、入江の入口から波が始まり、岸辺に向かって、砕けてから数十メートルもの距離を波が進む。ボードに乗っている時間が長く、楽しめそうだ。
3日目は朝食の後、島の東の海岸沿いに北上する。教会の日曜礼拝に向かう人々とすれ違いながら、空港へ向かった。ここでツアーは解散。3日間で十分に島のポイントを押さえることができる良いツアーだった。
スマトラ島の西側には、ほかにも、ムンタワイ諸島、バニャック島など、興味深い島々が連なる。ウイングズ航空やスピードボートでのアクセスが整いつつあるが、情報はまだあまり多くない。いつかは訪れてみたい地域だ。