文・写真…鍋山俊雄

 「バンダ諸島」とは、インドネシア国内旅行好きにとっては憧れの響きかもしれない。大航海時代に「香料諸島」と呼ばれ、丁字を産したアンボン島からも遠く離れた島々で、美しい海が広がる。当時は世界で唯一のナツメグの生産地だった。「インドネシアで絶対に行っとくべき場所」7選のうちの一つにもさせてもらった(→「インドネシア全34州の旅」番外編〜鍋山俊雄さん選 インドネシアで絶対に行っとくべき場所)。

バンダ諸島はアンボンから東の海上にある

 離島ゆえのアクセスの悪さと、海路が海況の影響を受けるために、行くことのできる季節は限られる。さすがにここは「週末弾丸旅行」では行けない。先にバンダ諸島に行った友人から、バンダネイラ(ネイラ)島でホテルを経営している人を紹介してもらい、アクセスや、行くのに適した季節などの情報を収集した。

お土産に買った絵葉書に描かれたバンダ諸島。
中央にバンダネイラ(ネイラ)島、左端にルン島

 まず、バンダネイラへのアクセスは、アンボンから海路と空路がある。空路の場合、2018年当時では、スシ航空(Susi Air)で週2回、片道40分のフライト。ただし、島の滑走路が短く、小型セスナ機を使うので、天候に左右され、すぐにフライト・キャンセルになりやすい。

 海路では国営ペルニ社のフェリーがある。海況の変化にも比較的強いが、運航時間が10〜12時間と半日がかりになる。ほかには週2回、スピードボートが出ている。片道4〜5時間で行けるが、海況と旅客量の季節性に左右される。

 天候の悪い時に行くと、行ったは良いが、帰りの便がキャンセルされると、数日間、島で足止めになるというリスクがある。サラリーマン・トラベラーとしては、行く時期は吟味しなければならない。ベストシーズンは10月後半から12月初めまでと聞いたので、11月に休みを取って行くことにした。

 行きは金曜深夜ジャカルタ発アンボン行きのガルーダの夜行便で、土曜の午前7時にアンボンに到着。空港からアンボン島東部のトゥレ(Tuleh)港まで車で約1時間。午前9時発のスピードボートに乗り、バンダネイラには午後3時ごろ到着する。

 帰りは水曜日にバンダネイラ発のスピードボートに乗ってアンボンに戻り、アンボン午後8時発のジャカルタ行きの最終便で戻る。これがスピードボートで往復する場合の最短プランで、月〜水の3日間の有給を取れば行ける(という算段だったのだが……)。

 午前7時にアンボン着の便が遅れると、午前9時発のフェリーに間に合わなくなる。このため、事前に当該便の運航記録を調べ、遅延がほとんどないということを確認した上で、このプランでフライトとホテルを予約した。スピードボートはオンラインでの予約はできず、当日の購入では、出発前ぎりぎりに港に着くと売り切れているかもしれないので、バンダネイラのホテル・オーナーを通じてアンボンでの車を頼み、当日のスピードボートのチケット入手も依頼しておいた。こうして無事に午前8時半に港に着き、スピードボートに乗船することができた。

スピードボートに乗り込む
エコノミー席はほぼ満席

 スピードボートはエコノミーとビジネスクラスがあるが、どちらも冷房が十分に効いていて、快適だ。出発前に港で購入した朝食を取ってから、後部甲板に出て海を眺めた。アンボン島東岸を出発し、しばらくは北側に大きなセラム島(Pulau Seram)を見ながらボートは快調に進む。外海に出ると360度、周囲に海が広がる中、船はひたすら東を目指す。この時、運が良ければイルカの群れにも遭遇できる。

スピードボートでアンボンを出発

 午後2時過ぎから、円錐型の山を持つバンダ諸島が徐々に視界に入り始める。午後3時前、ようやくバンダネイラの港に到着した。

バンダ諸島が見えてきた
バンダネイラ島へ到着
港から宿に向かって歩く。通りの両側にはカフェやレストランが並ぶ

 今回の宿は、オーナーの所有するホテル「チル・ビンタン・エステート」(Cilu Bintang Estate)がすでに満室だったため、彼の家を改造したホームステイ「ムティアラ・ゲストハウス」(Mutiara Guesthouse)にした。こぎれいな作りで、朝食付きだ。

今回泊まったホームステイ
ダイニングから望む庭にはナツメグの木が生えている

 初日は、手配しておいたガイドに、宿周辺の見どころを案内してもらった。この島への旅行者はまだ圧倒的にヨーロッパからが大半で、アジアからは少ないそうだ。

 まずは、すぐ近くにある慰霊碑へ。オランダ東インド会社(VOC)が1621年にバンダ諸島を占領した際、島民たちが抵抗した。この時に処刑された首領40人の名前が記載されている。このほかにも約6000人の島民が殺され、約1700人はケイ諸島などの他島に逃れた。789人はジャカルタに奴隷として強制移住させられた。島の原住民がほとんどいなくなったので、VOCはスラウェシのマカッサルやブトンから住民を移住させた。しかし、彼らはナツメグの栽培方法を知らなかったため、VOCは一転してバンダ諸島の原住民確保に力を入れたという。

慰霊碑には事件の説明と犠牲者の名前が刻まれている
処刑された40人の名前が刻まれた慰霊碑

 そのナツメグの木は、島の中では道端で普通に自生している。実の収穫は、「サシ」(Sasi)と呼ばれる資源保護の慣習に則り、4カ月に1度、年3回、収穫している。4カ月ごとに、収穫に適した物のみを採る、というサイクルを繰り返す。

ナツメグの実

 バンダネイラには、オランダ占領時代の建築物が多く保存されている。次に見たのは、海岸に面して建つ小宮殿(Kompleks Istana Mini)だ。VOC現地責任者のオフィス兼住居で、目の前にはVOCの船が停泊するための埠頭があった。ホールの壁には、前の海から砲撃された際の大きな弾痕が残っている。

小宮殿

 この建物の一つの部屋の窓ガラスには、フランス語の文章が刻まれている。当時のVOC役人が故郷の家族を思う望郷の言葉を刻み、その後、自ら命を絶ったと伝えられている。

ガラスに刻まれた遺書

 小高い丘を登ると、新1000ルピア札の裏面の絵にもなった、美しい五角形のベルジカ要塞(Benteng Belgica)がある。1611年、海岸近くに立つナッソー要塞(Benteng Nassau)の位置が低かったことから、防御力を高めるために、高台にもう一つ、このベルジカ要塞を作った。その後、何度かの改築を経て、現在の五角形になった。私はインドネシアのこういった要塞(Benteng)が好きで、インドネシア全国の34カ所に行ったが、大きさ、形、保存状態から言っても、最も美しい要塞だと思う。

ベルジカ要塞を正面から見る
新1000 ルピア札の裏面デザインになったことを示す看板
要塞の入口
五角形をした要塞の内部
要塞から海峡を眺める
海峡に向かう砲台。向かいのバンダ・ブサル島の高台にはホランディア要塞がある

 要塞の上に登ると、眼前のバンダ・ブサル(Banda Besar)島との間の海峡が一望できる。夕暮れになって太陽が傾いていく中、きれいな夕焼けが広がっていく。

 その後は、ホテル「チル・ビンタン・エステート」で、初めてのナツメグジュースを飲みながら、のんびり過ごした。ナツメグの皮がコカコーラの隠し味になっている原料だとの話を聞いたことがある。甘酸っぱい味で、確かに、コーラに似た風味を感じた。

ナツメグジュース
ナツメグの実を割ると、黒っぽい種(左)が赤いメース(仮種皮)で包まれている
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