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文・写真…鍋山俊雄

南スラウェシ州は、「K」の形をしたスラウェシ島の左足の位置にあり、つま先から足の付け根までをぐるっと回る場所をカバーしている。州都はかかと部分にあるマカッサル。ここは、ジャカルタから東部インドネシア地域に向かう際のハブ空港にもなる。マカッサルから北上した山間部には、船形の伝統住居「トンコナン」や独特の葬儀の風習を持つことで有名なトラジャがある。

スラウェシ島の両足の南方には諸島地域がある。右足の南東スラウェシ州には、以前にご紹介したブトン島(7、8回)や、その先にワカトビ国立公園のある島々が広がっている。左足、すなわち今回ご紹介する南スラウェシ州の南側には、縦に細長いスラヤール島がある。その南方はタカ・ボネラテ(Taka Bonerate)国立公園だ。

スラヤール島に興味を持ったきっかけは、マカッサル空港でのトランジットの待ち時間の時だった。マカッサルから出るトランスヌサ航空(近距離専門のプロペラ便)の行き先をチェックしていて、40分ほどでスラヤール島に行けることを知った。それから、この島のことを調べ始めたところ、美しい砂浜の海岸のほか、興味深い高脚住宅のあることがわかった。さらに、行ってみて目の当たりにしたのは、インドネシアの季節風と海流の影響を受け、もろに現れたインドネシアの環境問題だった。

ジャカルタからスラヤール島は、往復にそれぞれ、ほぼ丸1日かかる。このため、週末と祝日で4連休になる12月に行くことにした。

初日はジャカルタからマカッサルへ行き、そこで乗り換えてスラヤール島に飛ぶ。朝にジャカルタを発ったのだが、天候の関係で飛行機が遅れ、午後4時半過ぎにようやくスラヤール島に到着した。

泊まったホテルは街の中心部の入口付近にあった。小さいが、新しくて清潔だ。

ホテルを通じて車を手配したところ、当地の観光局に勤めている人をガイドとして紹介してくれた。夜にそのガイド氏が宿に来たので、私がインドネシア各州を回っていること、東部インドネシアのあちこちで美しい海に行った話などをした。すると、「そんなに海の美しい所に行っているのに、シュノーケリングだけではもったいない。明日は体験ダイビングをしないか?」。実は、このガイド氏は経験豊富なダイバーで、スラヤール島にも多くのダイビング・スポットがあるそうだ。せっかくだから試してみることにした(これを契機に、翌月にバリでライセンスを取り、ダイビングにはまっていくことになるのだが)。

ここで、スラヤール島と、季節風と海流の関係について話を聞いた。

10月から4月ごろは南半球が夏になる。オーストラリア大陸では大地が熱くなると上昇気流が起きて気圧が下がる。海から大陸へ風が流れ込むことになり、西のアジア方面からの季節風がオーストラリアに向かって吹く。一方で、4月以降は風向きが逆になり、オーストラリアから乾いた風が海へ向かって吹く。海流も、季節による風向きの影響を受けている。

訪問した12月は「西の季節」(Musim Barat、西からの季節風が吹く季節)。島の西側は波が高いため、体験ダイビングは島の東側で行う。4月以降は「東の季節」(Musim Timur)。今度は東風が吹くので、島の東側の波は高くなり、西側の海は穏やかになる。そして問題は、海洋ゴミだ。

スラヤール島はちょうど、スマトラやカリマンタンからマルクを通ってアラフラ海に抜けていく、「海の関所」のような形をしている。このため、西風の季節には島の西側に、東風の季節には東側の海岸にゴミが打ち上げられる。いくら掃除をしても、すぐに新しいゴミが溜まるとのことだ。だから、この島の人たちは、通年、ゴミのない側の海岸を使って商売をする。

翌2日目は、初ダイビング。ガイド氏とその友人のダイビング・インストラクターの3人で、島の東側のガパロカ海岸(Pantai Ngapaloka)へ行った。ダイビング装備の説明と注意を受けた後、インストラクターと一緒に、穏やかな海岸から8メートルの深さまで潜った。約40分ほど、初めてのダイビングを楽しんだ。

東側の穏やかな海岸

雨が降ってきたことから、昼過ぎに宿に戻り、のんびり休憩した。夕方はガイド氏と一緒に、港近くのシーフード屋台で地元の魚料理を楽しんだ。ムスリムの多いこの島ではアルコールはなく、若者は夜、カフェでまったりと過ごすそうだ。食後はコーヒーを飲みながら、旅行の話で盛り上がった。

滞在3日目は、車で島内巡り。街を出て山間の道を1時間ほど進むと、高脚の家の集落があるビトンバン村(Kampung Bitombang)に到着した。山の尾根に一本道が通っており、その両側に家がずっと並んでいる。尾根の道沿いなので、谷に向かって傾斜面になっている。そこに家を建てるので、水平を保つために自然と、谷側の柱が長くなる。

足の下は倉庫

村にあった説明文によると、この村は17世紀ごろに出来た。アニミズムとヒンドゥー教の混合した宗教を信仰していた人々が、イスラム教の浸透を拒んで、山奥に居住を移したということだ。

この長い柱は山間の地形に対応するものだが、さらに、盗賊除けの意図もあったようだ。高脚住宅の中でも特に柱の長い家は、尾根の盛り上がった岩の上に建てられている。さすがに地震が来たら不安だが、この地域では地震はないらしい。

家の一つが空き家で、観光客用に民宿にしようと改装中だった。中に入ると、板張りの床の下から光が漏れ、窓からの眺めはなかなか良い。

街に戻って、マングローブ林を見学してから、この島の歴史遺産である大きな銅製の鼓の展示館に立ち寄った。この鼓は1868年に農民が発見したという。紀元前600年ごろのドンソン文化時代の物で、象や鳥、魚などの装飾画が描かれている。コンパス紙によれば、世界最古で最大の銅鼓で、当時の中国から渡って来た物らしい。

街中の公園にある銅鼓をあしらったモニュメント

その後、空港近くの漁村地域にある、沈没船の錨と砲身が展示してある小さな博物館を見学した。19世紀初頭、ここに、中国からの商人がマカッサルとインドネシア東部との交易をするための貿易港を開いた。黒檀やはちみつのほか、欧州からの衣料を交易していたという。錨と砲身は当時の船が装着していた物らしい。今では静かな漁村だが、かつては賑やかな貿易港として大きな蒸気船が出入りしていた時代もあるとのことだ。現在の漁港には、集魚灯を装着するアームを装備した漁船が集まっていた。

昼食は、島の西側の南部地域にあるスナリ・ビーチ(Pantai Sunari)に立ち寄った。そこのレストランで、西風で波の高い海を見ながら食事をした。きれいなビーチで、思ったよりもゴミはない。掃除をした直後のようだった。オーナーの話では、この西風の季節は、3日に1度、ビーチをきれいに掃除しても、すぐに海からゴミが漂着して溜まるそうだ。「ゴミは皆、外から来るんだ。この島から出た物ではない」と嘆いていた。

スナリビーチ

次に、街の北側にある、ウミガメの保護地区「ウミガメ村」(Kampung Penyu)に、夕陽を見がてら立ち寄った。ここも、ものすごい量のゴミが海岸に打ち寄せられる。ゴミはやはり3日に1度、集めているが、すぐに新しいゴミが打ち寄せられて、元に戻ってしまうそうだ。

ウミガメ村の場所

真西を向いたウミガメ村の海岸

ゴミの多くはプラスチックゴミだが、靴などもある。これらはスラウェシ島やジャワ島方面から流れて来た物だ。カリマンタンからは木材が流れ着く。また、インドネシアの港のゴミ回収設備が未整備なため、航行中の船舶が、かなりの量のゴミを海に投棄している。それらがすべて、この島の東西の海岸に、交互に打ち上げられているのだ。

他人の捨てたゴミで海岸を汚され、一年中、海岸を清掃しているこの島。「まだ先進国のようなリサイクル設備はないので、ゴミとしてひたすら処理するしかないんだ」とウミガメ村の管理人は語っていた。

さすがにゴミがあふれる時期ではウミガメが上陸できないのではないかと心配したが、ウミガメの産卵期は4〜6月。西風が東風に変わり、西側の海岸をきれいに清掃した後に当たる。この時期に産まれた卵を保護して孵化させ、子ガメをまた海に戻す作業が行われている。

翌日の午前中は街中を散歩し、昼過ぎに空港へ行った。空港のロビーには、青空の下の美しい海岸の写真が壁一面に貼ってある。この景色を楽しむためには、東風に変わる4月以降が良いそうだ。

ジャカルタなど都市近辺の濁った海ではなく、このような美しい島で、インドネシアの抱えるゴミ問題の現実を突き付けられたのは初めてだった。

東西の季節風とその位置から、無限ループのゴミ処理に陥ったこの島が、他人のゴミを掃除しなくても済むようになる時が来るのを願わずにはいられない。この島の東西の海岸でのゴミ打ち上げ量が、インドネシアのゴミ問題進捗を示すバロメーターと言えるのかもしれない。

またいつか、秘境のタカ・ボネラテ国立公園でのダイビングも含めて、再訪したい島だ。

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