【特集】私の好きなインドネシアの本 インドネシアのポップ・ミュージック史。

【特集】私の好きなインドネシアの本 インドネシアのポップ・ミュージック史。

2017-08-11

お薦めする人 Jet Silly

Denny Sakrie 「100 Tahun Musik Indonesia(インドネシア音楽の百年)」(GagasMedia, 2015)

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 この本を手にすれば、そんな多様な「音楽」が辿ってきた道のりを楽しみながら概観できるのではないか、と思います。電子書籍として購入することも可能です。

 「音楽オタク」の性として、特定の作品やジャンルだけでなく、その時代変遷や全容を把握したいという欲望は尽きないもの。

 ひょんなことからインドネシアに洗練されたポピュラー音楽が存在することを知り、特に自分の好む「プログレッシヴ・ロック」のグループが複数存在した事実に行き当たると、そこから先は音を楽しむだけでは飽き足らず、人脈や時代背景までも深堀りしたくなり、雑誌やインターネットの情報を貪るように調べました。その過程で、高確率で遭遇したのがDenny Sakrieという名前。「インドネシアのポピュラーミュージックの歴史」をまとめたこの本の著者です。

 音楽評論家のDenny Sakrieは『Hai』、『News Musik』、『Rolling Stone』といった音楽誌をはじめ、新聞や『Tempo』等の各種雑誌で音楽ライターとして、また時にはラジオDJとして、内外のポピュラー音楽を紹介してきた人です。そんな彼が特にこだわっていたのが「自国の音楽」への愛。大衆文化であるが故に時代とともに消費され、系統立てて紹介されることのなかったインドネシアのポップ・ミュージック史の編纂について、Denny Sakrieはこう述べています。

以前からこの国の大衆文化、特にポピュラー音楽を歴史の形でまとめたいと考えていた」「皮肉なことに、わが国においてはその資料に乏しく、大半の資料はオランダなどの海外に散逸し、その作業は容易ではなかった

Denny Sakrie

 資料収集の困難は想像に難くありませんが、2014年、本書のすべての原稿が完成します。ところが翌年1月、Denny Sakrieは自らの著作が書店に並ぶのを目にすることなく急逝しました。その意味で、この著作は、彼の最後の情熱が結実した集大成といえるでしょう。

 本書は最初のレコード会社「Tio Tek Hong Record」が設立された1905年からスタート、クロンチョンやスタンブル、ジャズが隆盛を極めた植民地時代を経て、国体が整う1950年までを最初の区切りとし、以降、10年単位でポピュラー音楽の変遷を辿っていきます。

 米国の短波ラジオ「Voice of America」を通じ、エルビス・プレスリーらのロックンロールをはじめとする西側のポピュラー音楽が流入、映画音楽も盛んだった1950年代。

 スカルノの命により一度は西洋文化が禁じられるも、9.30事件による体制変化で西洋文化が再流入、ビートルズの影響下、クス・ブルソウダラをはじめとするグループ・サウンズやビート歌謡が盛んだった1960年代。

 欧米風の洗練されたポップスを多数生み出した作曲コンテスト「LCLR」の開催や、多数の本格的なロック・バンドの登場、ムラユ音楽の延長として頭角を現したダンドゥットが圧倒的な大衆人気を獲得した1970年代。

 「Yamaha Light Music Contest」や、「Festival Rock」といったバンドコンテストを通じ、ジャズ・フュージョンやメタルの分野で多数の実力派バンドが輩出され、ChrisyeやFariz R.M、Iwan Falsといった大スターが生まれた1980年代。

 GIGI、DEWA19、SLANKといったバンドが商業ベースで大成功を収める一方、バンドンを中心としたインディー・シーンが勃興し始める1990年代。

 そして最後は、独自にボーダーレスな活動を始めるインディーズの隆盛と、商業ベースの音楽が苦戦をし始める2000年代の最初の5年をもって締めくくられます。

 本書は時代変遷のみならず、別のアングルからも焦点を当てています。ジャズ、ロック、フォーク、ダンドゥット、クロンチョン、サントラ、といったジャンル。グサン、ビン・スラメット、ベンニャミン・スーブ、アフマッド・アルバル、ロマ・イラマ、イワン・ファルス、といった時代を象徴するアイコン。ラジオ・スター、作曲コンテスト、TV放送、宗教音楽、デジタルメディア、といった現象面などなど。

 特にインディーズについては約9ページを割いており、ビジネス至上主義に批判的な筆者の思い入れの強さがうかがえます。

 ……ここまで書くと、随分と分厚い本のようにも思えますが、実は全160ページと、ボリュームとしては非常にコンパクト。コレクターやマニアが辞書的に使うような分け入った内容は省かれていますが、まとまった記述とカラフルな装丁も相まって、全体像を俯瞰するにはちょうど良い量だと思います。本書を片手に動画サイトで歴史を辿る、といった楽しみ方も良いかもしれません。

 一昔前の日本では、インドネシアのポピュラー音楽というと「物珍しさ」や「エキゾチシズム」、「社会性」や「メッセージ性」など、「音楽性」とは少し異なる文脈で、ピンポイント的に語られることが多かったように思います。

 しかし今日においては、大衆的人気を持つメインストリームのポップスはもちろんのこと、シューゲイザーからノイズに至る多彩なインディーズ群、膨大なバンド数を誇るメタル勢、米国のレーベルを通じて世界に羽ばたき始めたジャズ・ミュージシャンたち、さらには世界中のマニアを魅了するプログレッシヴ・ロック等々、欧米や他のアジア圏同様に多様性に富んでいることは随分と知られるようになってきました。

 この本を手にすれば、そんな多様な「音楽」が辿ってきた道のりを楽しみながら概観できるのではないか、と思います。なお、本書は電子書籍として購入することも可能です。
https://play.google.com/store/books/details/Denny_Sakrie_100_Tahun_Musik_Indonesia?id=l3zwBgAAQBAJ
 
 
Jet Silly
音楽好きのおっさん。インドネシアのプログレバンド、Discusの日本盤リリースをお手伝いしたことがあります。

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